2006年11月27日
2006.11.27
「今年も公園の上池に白鳥が5羽飛来した」
という噂は聞かないが、なんとなくそうなればいいと思う。
とはいえ、昨年、私は人ほど白鳥に熱中しなかった。
なのに、なんとなく、また来ればいいと感じるのは、おそらく、飛び去る瞬間を見なかったからだ。
その瞬間は、きっと誰も見ていない。
そう、白鳥は、ある日忽然と消えてしまった。
チャーリーダルメシアンのおじいさんが、出会うたびに、
「白鳥がいなくなって散歩に張り合いがない」、
とつぶやいていたのは本当に可哀想だった。
お年寄りをこんなに気落ちさせるもんじゃないと、白鳥に腹が立ったのを覚えている。
白鳥は水の上だけを住家にする。
ゆえに、飛び去った後は跡形もないのだ。
それは、白鳥が居たはずの過去までまぼろしにしてしまうほどに空虚。
痕跡は、公園に白鳥を見に集まるまばらな人々。
もう居ぬ白鳥に群れる人だかりは、殺伐とした冬の公園を、一層もの悲しくやるせないものにした。
白鳥が去ってしまえば、公園は、依然、土色の冷たいオブジェだった。
まじめに冬をじっと辛抱していたら、そのうち春がきた。
白鳥が飛び立つと同時に春がくる夢は果たされなかったが、
春は春なりのテンポでちゃんとやってきた。
季節は巡る。
また冬が来ている。
「白鳥がきた!」
というニュアンスが、今は気に入っている。
そして、私はいつか、白鳥が国へ帰る瞬間に立ち会って、
空の彼方までずっと手を振っていたい。
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