2006年03月25日

2006.3.24

春の海 野いちごの味 花曇り レースの襟の白いブラウス
ピーピー豆はカラスのエンドウ 線路のわきの白い花々
麦藁の予感 リストのピアノ 昔観たビデオテープの新鮮な青空の色
雲の形 展覧会 打ち上げ花火 キラ星ひらり 月の記憶
露骨すぎるアイスクリーム レモンの皮 回る地球儀 旅立ちの鞄
おだやかな気分 ディカフェのコーヒー 春色のペン 大好きな花束
赤くて甘いトマトが夜食 硝子玉を光にかざした さくらんぼのリキュール
ちらほら桜 白昼夢見た 風に飛ばないようにホッチキスでとめよう。

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2006年03月21日

都会の街猫 part.10

都会の街ネコの見る夢は、
たとえばそれは、平野を埋め尽くす4月の麦畑

…ツバメのイメージ

路地裏の迷路なら得意なんだけどね
行き止まりのない迷路は、僕まだ行ったことないんだ
だって、麦畑って永遠ってことでしょ!?
青く靡く風を見つめて、僕は白い帆を張ったヨット
風にまかせて、行きたいところへトリップ!
仲良しのソックスも一緒さ
遊び疲れて、ひんやり根っこの海原にゴローン
う~ん、って伸びをして、両手をなるべく高くに掲げる

両手がこの空を支えているという一瞬の錯覚
眩暈しちゃう…
そのまま、静寂にからまれて、僕はゆっくり目を閉じる
会いたいのは、砂漠の中に眠っているチューリップ色の僕の化石
不思議な事なんてないよ
だって、4月の麦畑だもん

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みんなもここに来ればわかるよ。

2006年03月18日

2006.3.18

わすれな草を、わすれな草と知らない頃、
私は、わすれな草が好きだった。

初めて見る小さな花。しかも、ピンクとブルーが茎の上で花束になってる。
正確には、ツボミがピンクでハナがブルー。それは本当に小さくて、私は、
宇宙で自分だけしか知れない秘密を見つけてしまった興奮に、キュキュって胸が高鳴った。
石垣の隙間、踏みしだかれた硬い畦道、用水路のひび割れ、
整理されてない山路のわずかに陽の射す斜面…
わすれな草は、いつでも、あまりにさり気なく咲いていた。
私はそれらを丁寧に探して、そして、必ず見つけ出した。
時折、それらを母に摘んで帰ると、こんな小さな花をよく見つけたわね、
って言われて、私はちょっと誇らしかった。

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しかし、わすれな草は弱かった。飾るのはガラスのお猪口。
花達は、決まって、朝日を見ないで萎れていった。
…私は、わすれな草を摘むのをやめた。

わすれな草が好きだったから、ある日、その名前を知りたくなった。
私は、期待を込めて、植物図鑑を丹念に捲った。それはあった。
「わすれな草」…愕然とした。
なんて、悲しい名前だろう。 (わすれないで…)
そのニュアンスがだめだった。忘れないで、そう願うくらいなら、私は、忘れられた方が心が晴れる。
その願いは、あまりに他力本願で、エゴイストで、成就されない、
独りよがりのセンチメンタルを秘めていた。その響きに、幼い私は気付いてしまった。
それからの日々、わすれな草を探すのをやめた。

そんなすべてを忘れた頃、私は、花屋でわすれな草の鉢植を見た。
花は、改良されて5倍くらいに膨張し、あの淡泊なピンクとブルーは、
脳を刺激するパッションピンクとトルコブルーに様変わりしていた。
それは、なんとも異形の植物。私は、…ただ目を閉じた。
そして、心の中で思った。 (あんなことを願うから…)
そのわすれな草は、今はもう狂気としかいえない明るさで、花屋の路地を埋めつくしていた。
後悔を花びらの裏に隠して、呆然とそこに並んでいた。怖くなった。

久しぶりにこの季節、私は、幼い日の空間を歩く。
いろんな目覚めの草に混ざって、わすれな草の葉っぱを見つけた。
その葉は、まだ見ぬ世界に震えて、うぶ毛は緑をやわらかくしている。
まだ花の姿はない。

私は、わすれな草の、もう一つの名前を思い出した。 「キューリ草」
由来は、葉を揉むとキューリの香りがするかららしい。私は、葉を揉んでみなかった。
もう、この草の花とやり直すことは出来ないけど、…キューリの香りがすればいいと思う。

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2006年03月17日

2006.3.17

タネなしプルーンを買って食べたら、一個目に種が入ってた。
その現実に、すっかり恐れをなした私は、二個目を細心の注意でもって噛み締める。
みっつ目、よっつ目…、種はまだない。

日を繰り越して、袋のプルーンをたいらげて、結果、種が入ってたのは最初の一粒だけだった。
それ意外は、文字通り、タネなしプルーンだったんです。
私は考えた。
最初に種に当たった事実。二粒目からのプルーンに対峙する態度の変化。
偶然でなくて必然…、だとしたらその真理は?

それは、未だに謎のままです。だけど、最近、よくプルーンの事を考えています。
パッケージに、万一の種にご注意と書かれているということ。
故に、取り立てて珍しいことではないだろうという予測。
実際種に当たった人のわりとあっさりした感想。(これはきっと一粒目と、その他多数の違いだと思う。)

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私は一昨日、また、タネなしプルーンを買ってみた。
今のところ、まだ種には当たらない。その心境は、ホッとしたような物足りないような…、
…とても複雑。
それは、水の上に浮遊している、葉っぱの上に腰掛けているようで、なんだかちっとも落ち着かない。
種を望んでいるはずはないけれど、種に当たればなんともスッキリ、安心するような気がしてならない。

周知の事とは思いますが、本当に、たいしたことではないんです。
ただ、ちょっと気になるだけなんです。

プルーンの種は、アーモンドの実とリスの瞳に似ていました。

2006年03月15日

2006.3.15

6日前にマニキュア塗って、今、ちょうどいい感じに、私となじんできています。
私はこれくらいが気に入ってます。

あまりきちんとそろった爪は面白くない。というか、照れくさい。
指先が丸くなって切り絵みたいに無造作に剥げて、伸び出した新しい爪は、先のそれとはまた違った、
若い色合いで生えてきて…なんでもない、むしろ怠惰なこの現象が私を安心させてくれるのです。

この不揃いな爪は少女の記憶。ありったけの野の花摘んで、草色になってた指先の記録。
海水浴で砂遊びして、じゃりじゃりに、砂がつまった爪の記録。
どんぐり拾いはあまり汚れはしなかったけど、日が沈むまで夢中に拾って、帰りはいつも、
指が真っ赤にかじかんだ。本格的に寒くなると、私はいつでも手袋をしていて、なんとなく暖かくなる頃、
つくしのように指先の腹が薄くやぶれて顔をだした。

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私は、あまり塗らないくせにマニキュアが好きです。しかも、誰かに塗ってもらうのが好きです。
自分で塗るのは、いつも上手く塗れないし(あんまり自分で塗ったことないから)、
なぜだかちょっと恥ずかしい。
それから、誤解されやすいけれど、始めからキレイに塗れてないのは大嫌い。
あくまで、爪と過ごした過程において、気付いたら剥げているのがいいんです。
だからといって、このマニキュア理念に深い信念があるわけでなく、
「そういえば、私はそうだなぁ」くらいの発見です。

だから、もし私をみかけてマニキュアが剥れていたとしても、
それは面倒臭いんじゃなくて、好んでそうしているのです。
って言ったら、ちょっといいわけみたいかな…

次は、サクラ貝色にしよう。

海岸は、今、ラメ入りサクラ貝が話題です。

2006年03月03日

2006.3.3

イスラエルで見たアーモンドの花が忘れられない。

3月だったと思う。

ガードレールがあった気もする…
みんなスピードを加速して、通り過ぎてしまう、峠の片隅にそれはあった。
サクラより武骨な幹に、やっぱり、サクラより猛々しい花びらをたわわに身に纏って、
鮮やかなる完全武装。行き過ぎる車の振動くらいではピクとも揺れることはない、
ギュッとひしめき咲誇っていた。なんて強い意思だろう!
あまり風を感じない、太陽も照り過ぎない、ミツバチの羽音が、車の騒音と花びらの中で木霊した。
あの存在…

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あれからどれくらい経ったのだろう。
あの花盛りは、やがては葉を繁らせて、時期が来て、実を枝いっぱいにつけたのだろうか……。
そんな当然の経過が、あの木はまるで想像がつかない。あの花の群れはキョーレツだった。
白より、一層白くて尖っていた。白の意味は?
私は花しか見なかった。
何にも寄り添わない、景色からも切り取られた… あの一瞬!

うずくまる。
私は、なぜあの場所にいたのだろう。
なぜアーモンドの花と思ったのだろう。
思い続けているのだろう。
忘れられないのか…


白昼夢の彼方に、あの日の私とあの木の存在がおいてけぼり。