2006年03月17日
2006.3.17
タネなしプルーンを買って食べたら、一個目に種が入ってた。
その現実に、すっかり恐れをなした私は、二個目を細心の注意でもって噛み締める。
みっつ目、よっつ目…、種はまだない。
日を繰り越して、袋のプルーンをたいらげて、結果、種が入ってたのは最初の一粒だけだった。
それ意外は、文字通り、タネなしプルーンだったんです。
私は考えた。
最初に種に当たった事実。二粒目からのプルーンに対峙する態度の変化。
偶然でなくて必然…、だとしたらその真理は?
それは、未だに謎のままです。だけど、最近、よくプルーンの事を考えています。
パッケージに、万一の種にご注意と書かれているということ。
故に、取り立てて珍しいことではないだろうという予測。
実際種に当たった人のわりとあっさりした感想。(これはきっと一粒目と、その他多数の違いだと思う。)
私は一昨日、また、タネなしプルーンを買ってみた。
今のところ、まだ種には当たらない。その心境は、ホッとしたような物足りないような…、
…とても複雑。
それは、水の上に浮遊している、葉っぱの上に腰掛けているようで、なんだかちっとも落ち着かない。
種を望んでいるはずはないけれど、種に当たればなんともスッキリ、安心するような気がしてならない。
周知の事とは思いますが、本当に、たいしたことではないんです。
ただ、ちょっと気になるだけなんです。
プルーンの種は、アーモンドの実とリスの瞳に似ていました。
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- at 16:55
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