2005年10月29日
2005.10.29
燦然と散るはダリア丘。
(雨になる前のイメージ…)
フェアリーの羽は唄うよ。
まだ柔らかな金属が、擦れ合うような、かすかな、軽やかな音色。
その音色だけがこの丘を包んで、ダリアの色も滲んで溶け合う。
(雨が降る前のイメージ…)
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2005年10月29日
燦然と散るはダリア丘。
(雨になる前のイメージ…)
フェアリーの羽は唄うよ。
まだ柔らかな金属が、擦れ合うような、かすかな、軽やかな音色。
その音色だけがこの丘を包んで、ダリアの色も滲んで溶け合う。
(雨が降る前のイメージ…)
2005年10月26日
レモンの月が消える頃、
水平線が盗まれた。
アリスとテレスが探しに行った。
海の向こうにいるかもしれない…
不幸にも、アリスもテレスも泳げない…
かわいそうなアリスとテレス、海を飲み干すことにした。
太平洋を飲み干した頃、アリスとテレスはもはや海よりも海だった。
夕日は、どこに沈めばいいかわからないので悲しかった。
2005年10月24日
一晩ボトボトとヒョウが降り、この夕暮れ、ガラス戸を開けて外を見る。
空気がキュンとして冬の気配だ。この冷たさには覚えがある。
私は寒いのが嫌いだ。寒さは私を憂鬱にする。
時はさらさらと流れ、いつの頃からか、あまり空を見上げなくなった。
最後に覚えているのはレンズ雲。
レンズ雲に会うと、空が自分を凝視してるみたいで、いつもみたいに歩けなかった。
持て余した手はポケットの中。そんな日々の私はまるで水中花。
冴える空気は、息苦しかった。
冬が来ている。
頬だけでなく、全身で風を感じたら、それは、もうそこにいる証拠だ。
窓からどんどん、サファイア色に凍りつく。ああそしてまた、私は空を見上げられない…
都会の街ネコの見る夢は
それは、白い壁が続くシチリア
そこではいつだって僕が主人公
白い道から白い壁を蹴って白い雲までジャンプ!
心地よい汐風の日はお気に入りの場所でたそがれる
ここでは人の気配にビクついたりしない
だってここでは僕が王様
でもね、無用に威張ったりワガママいったりしないんだ
そうさ、僕はシチリアのとびきり清涼な空気、何も飛び出る必要はないんだ
ほら、これがシチリアの平安の秘訣さ
2005年10月20日
牛のゲップが、地球温暖化を促進してるというのは本当です。
2005年10月19日
台風20号がどこまで来てるか見るために、とっておきの海辺へ行った。雑として然。
決して穏やかではなかったが、遠浅の先の…もっと奥深い部分から、
沸き立つ如く溢れる波は美しくて、20号は美人だと感じた。
双方向から吹いている風に規律はなく、それらが織り成す砂浜の波紋は、あれは万華鏡。
砕けて尚美し。
突風に烏がハジカレテ… その光景は、高速道路を飛んでいた蝶を連想させた。
それらは、後方に流れて消えた。
空気は輝いて、そこで食べるチップスターの塩味は、確かに波の味だった。
コーラは、辛いことがあると飲みたくなる。
炭酸の刺激は、多分ココロをマッサージした。
天然の大音響に、もう何も聞こえない、すでに語ることも尽きて、
不図、昔好きだった映画のワンシーンを思い出した。そして、もう一度観てみたいと思った。
クッキーは、風と浜辺を駆け回り、無邪気に流木を拾って回った。
自分の2倍の長さの流木にも臆することなく、それを集めては、時々砂に絵を描いた。
その絵は私をちょっと明るくした。
光線の反射でその色が変わる。20号は気紛れだ。だけどそれは、いかにも20号らしかった。
陽は、まもなく傾き、私は松林を引きかえした。
20号と、祭り囃子の稽古の笛が、私の家まで着いて来た。
2005年10月17日
灼熱色したカンナの花が、脳みそにペタリと張り付いて、私はもう考えられない…
2005年10月15日
コスモスは、大正ロマンの香りがする。
日本の風土によく似合う花だが、江戸時代に咲き乱れる様は想像出来ない。
お殿様にも大奥にも、コスモスの花は似合わない。
だけど秋、私の周りも思い出も、コスモスの花に満ちていた。
私が少女だった頃、私はコスモスが嫌いだった。あのか弱さは不安だった。
いいようのないセンチメンタイズム…
コスモスは風だった。大地だった。波だった。自我の目覚めと縁遠かった。象徴だった。
…秋は悲しい。
「秋は悲しい」それは宇宙の意志だった。
少女‥、まだあらゆるものが美しくて、コーヒーは苦く、不可能はないと信じていた。
ああ、それでも、戦争はいけないと畏怖していた。
ピンクの花びらには、紫の夜が潜んでいた。白い花びらは、病院のシーツの匂いがした。
エンジ色の花びらは、夏によく日焼けした少女の肌を拒絶していた。
それらが一斉に揺れる時、私は薄く目を閉じた。
私は四季を摘んで回った。コスモスもその対象になった。
か細い茎はよくしなる変わりに、なかなかポキンとは折れなかった。
指に食い込む茎の繊維は、私が感じたことのなかった罪の意識をいじわるく煽った。
(痛いのかな…、我慢してて、)
小さな悲鳴をあげるかわりに、開いた花びらをぱっと散らした。
私の苦悩に反して、母はコスモスが好きだった。コスモスを摘んで帰ると、まぁ綺麗!と喜んだ。
母はコスモスの頃に産まれたし、母と大正ロマンは澱みなく流れた。
私はコスモスが嫌いだったが、母がコスモスを好きなのはわかる気がした。
時が経ち、その間も、コスモスは常にそばにあった。母の誕生日には、よくコスモスの花を送った。
私は、母が好きなコスモスを、贈るごとに好きになった。
それは、母が喜んだからか、秋のセンチメンタルが怖くなくなったからかはわからないけれど、
多分鈍くなったからではない。
この季節になると、コスモスの丘に行きたくなる。
私は、か弱いと感じたかつてのコスモスに囲まれて、
一緒に地震を感じたいと不謹慎ながら妄想してしまいます…
2005年10月14日
ひきつり笑いのナツメヤシ。
クッキーはオリエントブルーがよく似合う。
花園。そういう単語は知っている。百花繚乱、という語句も、想像力を刺激する。
画家は自分のイメージや空想を定着させて、夢のような「花園」を壁面に懸けてみせることが出来る。
私は花園が見たい。
きこえてくるのは、不思議な角笛。
今日はクッキーのダニエルを13匹、昇天させました。
2005年10月13日
壺の中の金魚に名前はない。
去年の夏は、その水面でスイレンの黄色と白が地味に競った。
スイレンの深緑の葉は、突き刺さる日光を避けるのに絶好だったし、
その隙間をたまに横切る金魚の尾びれは、それらを歓迎して見え隠れしていた。
金魚は全員で5匹いた。
それぞれが思い思いの色で浮いたり沈んだりしていた。
その壺は、裏庭のよく陽のあたる一角に、水道口と対座して陣取り、
厚焼き土色のその風体は、きっぱり主役を好まない潔さがあった。
故に、地味なスイレンもよく映った。
ましてその中に金魚がいるという感覚は、稀に出会うかの輝石であった。
観賞用のはずの金魚が、観られることを放棄して、好きに壺の中で遊んだ。
私は夕暮れの頃、その壺を覗いた。その頃が金魚に会える確率が高いからだ。
私はほぼ毎日会いに行った。金魚はいつも決まったものが迎えてくれた。
餌をやるでなく、ただぼんやり眺めているのが好きだった。
私は、それから暫く家をあけた。たまに金魚は思い出した。
まだ5匹全員に会ったことないのが気になっていた。
冬に帰ると、その壺は限り無く殺風景になっていた。
スイレンの跡形もなく、水面は銅製の鏡のようにかたくなであった。
そこに金魚の影はなかった。母に尋ねると、…おそらく全員死んでしまったのね、と返ってきた。
だけど、その壺は変わらずそこにあった。
春が過ぎ、夏は燃え、昨日、洗濯物を取り込みながら、私はなんとなく壺の中を覗いた。
‥赤と黒の斑点がある、淡く透き通った金魚がプカプカ泳いでいるではないか!
その模様に見覚えはなく、だが、あの金魚の仲間の1匹だと疑わなかった。
金魚は底なし壺に吸い込まれたと、あの日決めてしまった私の予測は、嬉しくはずれてくれたのだ。
私は、両親がまた新しく違う金魚を買ってくるとは思えなかったし、実際そういう事実はなかった。
生きていたのだ! その壺には、現在1匹の金魚が棲んでいる。
私はこれで、5匹のうちの3匹に出会った。あと2匹…
ある日あの壺を覗いたら、底なし壺の時空を超えて、まだ見ぬ2匹も会えるかもしれない
2005年10月12日
水辺の闇に光るカラスウリ。
夏、花弁の先が網状に細く裂けた白い花が咲き、その花には幾種もの蛾が群がった。
花は、花火の美しい時間帯に鮮やかにきれいに開くから、夜道にあの花はとても印象的だった。
その花とカラスウリの実が私の中で繋がったのは、いつかのお月見の夜である。
…朱色に怪しく光っていた。光沢のあるつるんとした皮膚。
それらの多くはさり気なく太陽を避けた、藪や林の中を好んだ。
その朱色にはお線香の炎が潜んでいた。あまり自分からは語らない、ひっそり静かな植物である。
小学生だったろうか、国語の授業中、カラスウリという単語が教科書に出てきた。
宮沢賢治だったかもしれない… 先生はカラスウリを知ってるかどうか挙手を求めた。
手を挙げたのは、クラスで私と、もう一人男の子だけだった。
私はその子と話をしたことはなかった。だけど、カラスウリの授業以来、
その子とはある秘密を共有しているような、ちょっと特別な、親密な感情が芽生えた。
かといって、それから仲良くなるわけでもなく、言葉を交わすこともなかった。
それどころか、男の子が、その出来事をどのように感じているかさえ定かではなかった。
けれどそれで良かった。私は一人でその出来事を楽しんだ。
カラスウリを知っているということ…それは何かの合図だった。何か…、わからないから高揚した。
秋が終わる頃、カラスウリはようように色付く。形も大きさも一定ではない。そ
の不格好は、今でも、私を特別な感情にいざなう。
今宵、月は半月
2005年10月11日
三浦海岸にもくらげはいた?
赤い汽車は走るよ。
空にかかる雲は昨日見た夢のように稀薄で、その途切れたところで汽車は止まった。
それから川を渡った。川は空よりも深かった。
緑のトンネルに入った。
トンネルは虹のアーチを一周していて、ならば曇りと雨の日は存在しないのかもしれない。
…トンネルはしゃぼんみたいに弾けた。そしたら、エメラルドの海だった。
その時私は、地中海の船上にいた。
海亀が昼寝をしながらついてきた。
もちろん海亀もエメラルドだった。
その海は、見つめる水平線からどんどん増えているようで、私は言い様のない胸騒ぎを覚えた。
白く映える波の群れは、海から逃げ出したがって泣いて、私に連れていってと縋った。
波も汽車に乗りたがった。
海は永遠に続くようだった。
汽車の乗客は、みんな自分の前で腕組みをして、その目はすでに閉じられていた。
それらは汽車の付属品になって、同じリズムで揺れていた。
幾つもの駅を過ぎたけど、そんなことはどうでも良かったのかもしれない。私もただ乗っていた。
記憶が遥かに逝く気がするけど、それが誰の記憶なのか、今はもう判然としない。
2005年10月08日
パッションフラワー!
「キリスト受難の花」
じっと眺めていると、時計草の裂けた葉は槍に、伸びた巻きヒゲは鞭に見えてきた。
花の中心にそそりたつ子房の柱は十字架に、三本の花柱は、
キリストの両手両足に打ち込んだ釘にそっくりでだった。
五枚の萼片と五枚の花弁とを合わせた花の周辺の十枚は、
ヨハネとユダを除く十人の使徒を思わせた。
と今誰かが呟いた気がする…
2005年10月06日
13時のざわめき。
太陽の眩さは時として私の世界に闇を放つ。私はふらふらと表に出た。
立枯れの彼岸花は火傷のように爛れていて、見るモノは目を背けないではいられない。
この午後に律として、それは不気味と似つかわしかった。
私はそれらを根元から踏付けた。私はただひたすら真っ直ぐに進んだ。
南京ハゼが疎らに赤く染まっている。その赤を、私は美しいと思った。
まだ生まれたての赤…銀杏は赤く染まらない、私は何故かそんなことを考えた。
アスファルトは妬けて、それを秋風が慰めていた。
私はさらに真っ直ぐ進んだ。
クラクションが背中に聞こえる。ある種の隔たりを松ぼっくりで埋め尽くす。
どこかで犬が鳴いている。悲しい響きだ。私は「夕焼け小焼け」のメロディーを連想した。
どれくらい歩き続けたのだろうか。私は歩くのをやめた。暗闇はいつしか青に変わり、
それは刻々とその色を変えた。しかしそれは、またひたすらに碧かった。
青い世界は若干、戸惑っているようにもみえ、だがそれは、私だったかもしれない。
私はその青い世界を目前に見つめていた。でも溶けてしまいたいとは思わなかった。
私はそれが永遠でないと知っていた。
別に、永遠が欲しいわけではないけれど、溶けない理由は欲しかった。
たまに銀色が跳ねた。銀色は時々不安げに、リズムを刻んで跳ね続けた。
青の境界を求めていたの?白い小さな花花が散り、あるいは咲いて…
それらが手を繋いで「花いちもんめ」にかたってと誘った。
私は返事の代わりに、耳の聞こえないふりをした。
遊ぼう、遊ぼう、…
秋はキラめき、青は悠然として、私と青の間はもう随分透明だったかもしれない…
2005年10月05日
実は私には、クッキーに付着したダニや蚤を見つけたら、
一匹残らず殺さないと気が済まないというような残忍なところがある。
それは小学の時に芽生えた。始めは愛犬愛猫に寄生する害虫駆除が目的だった。
今ももちろん、その要素は重要である。ならば、…と考える。
散歩の後、毎日の習慣となってるダニ探し、
いないとほっとするのとはちょっと感覚が違う…、恐らく落胆。
せめて一匹は付いていないとつまんない。
つまんないというよりも「いない」という事実をなかなか認識出来ないのである。
出来ないのだからいつまでも探す。けれど、いないものはいないのだ。
最近は便利な薬が出来て、その薬をクッキーの首筋に適量足らせば
1ヶ月は虫が寄って来ないのだ。だから昨日は興奮した。
薬の効果がなくなっていたクッキーにダニが大量に付着したのだ。
朝露に濡れた草原の道、露に紛れて、あんなにダニ達が潜んでいたなんて!
取っても採ってもとりきれない。
あれは些かぞっとする光景ではあったけれども、私は久しぶりに夢中になった。
小学時代以来の大漁である。
一通り夢中になって、それらに対するいつもの儀式を済ませたら、
私は腰が曲がったまま、夜まで真っ直ぐに延びなくなってた。
それだけです…
クッキーには、また新たに薬を適量足らしてその殊を終了したのでした。
今朝の散歩は、水たまりを駆けて、雨の合間を走り抜きました。
2005年10月04日
私にとってFishmansの旋律は、そう、
蓮華の花束、菜の花の花粉、野イチゴと木の実のソフトクッキー、若竹の香り揺れて、
変化のカエル、白いコンクリート、大きな鈴、それは朝、そして黄昏、歩行のリズム、
白いJeep、クローバー畑、ピーピー豆、蓬の海の深い所、花柄模様の甘い傘…
ああ、青空の向こうに星が無数に透けているわ
2005年10月03日
吹く風の心地良さに不図心を奪われて、しばし立ち止まって目を瞑る。
風が物語を運んでくる。
北西の方で鳶の鳴く声が聞こえる…
茜色の雲はまだ眩くて、だけどそれのたなびく裾から闇の気配もたゆたってくる。
夜は今日は東からやって来た。
夏の残骸はまだそこここに溢れていて、ほらスタジイの木、天まで続く蝉の抜け殻。
散り切れない百日紅の花の群れ。枯れない向日葵。アゲハの羽は千切れていた。埃っぽい散歩道…
夕暮れと大気と大地の摩擦が、私にノスタルジィを運んでくる。
蝙蝠がチクチクキリトリ線上に飛んでいる。
ソナチネ、タラチネ、うさぎのダンス。
私はあの日、ジグザグに自転車を漕ぐのが割と気に入っていた。