2005年10月15日

2005.10.15

コスモスは、大正ロマンの香りがする。
日本の風土によく似合う花だが、江戸時代に咲き乱れる様は想像出来ない。
お殿様にも大奥にも、コスモスの花は似合わない。
だけど秋、私の周りも思い出も、コスモスの花に満ちていた。

私が少女だった頃、私はコスモスが嫌いだった。あのか弱さは不安だった。
いいようのないセンチメンタイズム…
コスモスは風だった。大地だった。波だった。自我の目覚めと縁遠かった。象徴だった。
…秋は悲しい。
「秋は悲しい」それは宇宙の意志だった。

少女‥、まだあらゆるものが美しくて、コーヒーは苦く、不可能はないと信じていた。
ああ、それでも、戦争はいけないと畏怖していた。
ピンクの花びらには、紫の夜が潜んでいた。白い花びらは、病院のシーツの匂いがした。
エンジ色の花びらは、夏によく日焼けした少女の肌を拒絶していた。
それらが一斉に揺れる時、私は薄く目を閉じた。

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私は四季を摘んで回った。コスモスもその対象になった。
か細い茎はよくしなる変わりに、なかなかポキンとは折れなかった。
指に食い込む茎の繊維は、私が感じたことのなかった罪の意識をいじわるく煽った。
(痛いのかな…、我慢してて、)
小さな悲鳴をあげるかわりに、開いた花びらをぱっと散らした。

私の苦悩に反して、母はコスモスが好きだった。コスモスを摘んで帰ると、まぁ綺麗!と喜んだ。
母はコスモスの頃に産まれたし、母と大正ロマンは澱みなく流れた。
私はコスモスが嫌いだったが、母がコスモスを好きなのはわかる気がした。

時が経ち、その間も、コスモスは常にそばにあった。母の誕生日には、よくコスモスの花を送った。
私は、母が好きなコスモスを、贈るごとに好きになった。
それは、母が喜んだからか、秋のセンチメンタルが怖くなくなったからかはわからないけれど、
多分鈍くなったからではない。

この季節になると、コスモスの丘に行きたくなる。
私は、か弱いと感じたかつてのコスモスに囲まれて、
一緒に地震を感じたいと不謹慎ながら妄想してしまいます…

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