2009年01月30日

2009.1.30

誰も眠っているかしら?

窓をあけて、雪の降るのを見ている。

なにを見るでなく、雪の降るのを見ている。


そして、まわりの色に吸収される。

しずかに、そっと、
わたしは、おだやかな気持ちになった。


ひくい空を、わたしの頬杖でささえている日。


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2008年09月14日

2008.9.14

懐かしい人に会った。


その坂を下った角にある、本屋さんで見つけた絵本が気に入って、
最近、この坂の上に越してきたって、
少し恥ずかしそうに話した。

朝靄に、若葉の香りが立ち込めている。

そんなに、ロマンチックに生きてるって、素敵だ。

元気そうなのが、なによりうれしい。


そう思ったら、目が覚めた。


坂の上には、ノウゼンカズラが、
垣根を乗り越えて咲き乱れていた。


…わたしの棲む町に、凌霄花の花を見ない。

それで、少し、たすかっている。

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2008年08月30日

2008.8.30

窓をひらいて
窓にもたれていればいい。


そんなにも、私は、
八月が来るのを待っていた。

ただ、
八月が来るのを待っていた。

ああ、
葉っぱが、青空にかえりたがっている。

葉っぱが、青空にかえりたがっている。


ほら、
空を蹴りあげて

拡散する…

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2008年08月22日

2008.8.20

夏かげろう、セミのブローチ、枯草の匂い


風は吹かないけど、心は揺れるよ。


スバルはすずらんの香りがした。

リゲルは一番に咲いた白つばき

待宵草は天の河原に咲き乱れて、

シリウスはまだ遠く

おおきなおおきな木星は、
うつむいて泣いている向日葵だった。


お月のウラ側は今宵、芒が原

トンボのわたしは
群れを離れて、

ひとり

天空の月を目指す。

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2008年06月01日

2008.6.1

スミレ タンポポ レンゲ ツクシ
カイドウ リンゴ カラタチ ヤマブキ
アザミ ツゲ レンギョウ サンザシ
カタクリ ユキノシタ リラあるいはライラック
ヒヤシンス ヒトリシズカ クロッカス フッキソウ
キリ ハス ユリ ケシ シャクナゲ ボタン
テッセン クチナシ シモツケ ムラサキケマン
スオウ モクレン ハナナ キツネノボタン
シャガ ノイチゴ ハハコグサ オオイヌノフグリ
コナシ ニリンソウ イワカガミ レンゲツツジ
アセビ コデマリ ミヤコワスレ エンレイソウ
デルフィニウム ノバラ ツルバラ

ああ、エニシダ

道草に時を忘れた。


花の名前は、わたしの生きてきた証し。

ただ、気付いてくれるのを待っていただけ。

立ち尽くし涙流る。


幾万重の花びらを数えて歌おうよ。

いつまでも、夢の中でも。


終わりなどないけど、
サクラの季節は、
もう、逝ってしまった。

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2008年05月28日

2008.5.28

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パラン パララン

クスの並木道

お天気雨が降り出した。


つばめ風が吹くと、
パランパランパランと降り注ぐ。


なんと明るい軽やかな音楽!

アフリカの太鼓

バレエシューズの爪先

ウサギのタップ

天使の鼓笛…


パラン パララン


ああ、空からポップコーンが降ってくる…

よくよく見れば、
無数に降り注ぐ、星の形のクスの花花!


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2008.5.26

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夜のアサ。


雷の閃きの数だけ、

ベランダの朝顔のタネがひらいた。


寝不足の脳髄に、鮮明な双葉。

薄きいろの、目覚めたばかりのチョウの羽。

「おはよう。」


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2008.5.26

なんの言葉も頭に思い浮かばない日々。

どんな音楽にも心揺さぶられない日々。

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そんな日々は、静かに、
そばの植物たちにお水をあげる。

葉に水のはねる音
水滴のコロコロ
万華鏡のしずく

花々はひらいてとじて
その日の花殻を手のひらに集めて


ただなんとなく、じっくりと

植物たちにお水をあげる。


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2008年03月08日

2008.2.16

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「あしたから もう あのことあそばない」

「おはなであたしをぶったもの」


氷の底の石ころの会話。

ダイヤモンドのあぶくが、月の明かり目指してまっすぐに浮游する夜です。


ところで、

あたしのチューリップの芽をついばむのは誰?

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2008年02月08日

2008.2.7

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まだまだ木枯らしの冬の日です。


子ウサギが、朱い実を探して雪原をピョンピョン。

母さんウサギは言いました。

朱い実は、お山にピンクのぼんぼりが灯らないと、
どこまで行ってもありませんよ。


だけど、子ウサギはピョンピョン。

どうしても、朱い実が食べたいのです。


ピョンピョン
ピョンピョン


わさり!

椿の花が明るい音をたてて、
一輪落ちました。


子ウサギは、はっとしましたが、朱い実ではありませんでした。


ピョンピョン
ピョン…


もう、お空は低くなって、
夜のマントを羽織っています。

さすがの子ウサギも、
お家が恋しくなりました。

お空は、美しい星たちが朝露のようにキラキラしています。


ぴかり!


足元に、さそり座の目玉のような、
ルビー色の美しい実が光っています。

子ウサギは大喜びで拾いました。


それは、とてもとても美しい、
葡萄のようなビー玉でした。


子ウサギは、
嬉しいような悲しいような、
なんともいえない気持ちになって、

声をあげて、
わーわーわーわー泣きました。

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2008.2.6

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ああ、フリージア!


すれちがった自転車の後ろのカゴに、
ヤマブキ色のフリージアと白いデルフィニウムの花束。

川原のガタゴト道に、花束は軽やかに弾んで、
そのやわらかな風景は、
いかにも間近の春を誇張した。

郷愁が、
世界にはじけて、
自転車と共に行き過ぎる…


あのフリージアには見覚えがある。


小学校に入学して間もない頃、
教室の窓辺のロッカーの棚に、
あのヤマブキ色のフリージアがガラスの花瓶に入っていた。

入学したことに興奮して、
多分、誰も、その花を気にしていなかった。

私がその花に気付いたのは、
中庭の池の淵に、同じ花が咲いていたからだ。

中庭には、その他に、
グラジオラス、チューリップ、クロッカスに、桜草…と色とりどりに咲いていた。

そのなかにあってフリージアは、どちらかというと、脇役だった。

先生はなぜフリージアを選んだのだろう。


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それは、今となっては、もう、永遠の秘密だ。


わたしが当時の先生に会うことは二度とないだろうし、
もし、そういう機会に恵まれても、
わたしはその事について尋ねないだろう。

ただ、時折、春が来る頃、
窓辺のフリージアを思い出して、
その他愛もない、秘密の謎解きを一人で楽しむのだ。


いつも変わらないのは、

フリージアは、
ポケットに隠したキャラメルと
新しい教科書の匂いがする。

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2008年02月01日

2008.1.31

わたしのチューリップがまだ目覚めない。


太陽が旅に出たからだ。

銀色ねずみが追いかけて、

毛先でプルプル震えてるのは誰?


朧なる、中空で大熊座が大あくび。


チューリップは今夜もまだ目覚めない。


つぼみになるまでわからない、

わたしのはるのはなのはるいろ。

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2008年01月27日

2008.1.25

青白い雪の原


ウサギの子もじーっとしている。

ドングリも、ハハコグサもじーっとしている。

ヒメオドリコの朝露も、朝からじっとそのままです。

お空はどこかへ行ってしまった。

ぽかんと、真珠のお月がやってきて、
世界は夜になるようです。


ゆらゆら ゆらゆら

チルチル チルチル

雪の子は嬉しそう

ゆらゆら ゆらゆら

チルチル チルチル

雪の子は唱うよ


ビオラたちはおしゃべりをやめ、

水の底のサワガ二は岩の隅に潜りこみ、

ゆりかもめも羽をたたんで、

雪の子は唱うよ


スダジィもゆっくりまぶたを閉じて、


ゆらゆら チルチル

おやすみ

おやすみ


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2008年01月12日

2008.1.12

ペパーミントの月。

夜明けの気配。


薄むらさきの花が、ゆっくり
笑った。


寒い日々は苦手だけど、

強く太陽を想ったり、
空がいよいよ高くなったり、
ユリカモメの羽音に心が跳ねたり、
一番星が早く輝いたり、
吐く息の、白いのは好き。

それから、
植物の目覚めをなにより祈って、
幹を見つめて、土手を歩いて、
待つものがあるのはいい。
必ずいつかやってくるからいい。


寒い日は、いつも探しものをしている。

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2007年12月18日

2007.12.18

水色のトゲトゲ。

ピンクのイライラ。

イライラ イラ草。

小さいお花。

トゲトゲ ちちんろん。

細い茎はいーたいよ。

薄い葉っぱもいーたいよ。

ポロポロいっぱい、小さいお花。

水辺に咲いてる、コンペイトウ。

お花になった、コンペイトウ。

コンペイトウのやさしいトゲトゲ。

トゲトゲはかわいいピンクいろ。

ピンクのトゲトゲ。

まぁるいトゲトゲ。

トゲトゲに朝つゆ。

朝のキラキラ。

空のソーダの水の水色!

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2007年12月12日

2007.12.11

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赤い実に唇よせる。

これは彼女のくせである。

赤い実には、不明の不思議な力がある。


夕日が赤くて心がにじむ。

これは生物の感傷である。

夕日には、万物が恋しくなる力がある。

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そういう感受性がわたしは好きだ。
弱くても好きだ。

やさしくてやわらかくてあたたかい…


わたしの瞳の奥に住む少女が
微笑む瞬間。

世界も笑った。

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2007年12月10日

2007.12.9

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かりん ぽりん

リスのおやこ


くるみの殻はかぁたいよ。

くり坊の殻はいぃたいよ。

どんぐりの実はにぃがいよ。


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かりん ぽりん
かりん ぽりん

不眠症のおやこがベッドの中

夢の味のビスケット

タワーより高いクリスピー


食べたらね、
なくなっちゃうから美味しいね。

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2007.12.9

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何一つキズのないもの
患ってよじれたもの
虫に喰われて穴だらけのもの

大きいもの
小さいもの


それらがみな、
土に帰りたいと、ひらひら舞う。


それら、すべてを讃えよ。


怠けたものはひとりもない。
どれも違って美しい。

この一葉一葉に、辛抱強い過去がある。


露の重み
瞬きの風
精霊のいたずら

いっせいに、密やかに、
ひらひら ひらひら
ひらひら ひらひら

ひらひら ひらひら
ひらひら ひらひら


いのちのうた
永久に響く、
風と光のレクイエム

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2007年11月07日

2007.11.7

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誰かがノックしている。

夜の向こう側に行きたいからだ。


ゾウの行進の最後尾につけて、

あの空の奥まで、

よし、ひとまず歩こうか。


ラッパを鳴らして、

おーい!
そっちの方は、どうだーい?

ジャンワララーン
ジャワワララーン


先頭は、とっくに、ベーリング海を泳ぎきり、

オーロラのかけらを道しるべにして、

たまに、春の花を摘みとり、

おなかがすいたら、夏の果実をもぎとって、

虫の唄に歩調を合わせ、

万象に見とれながら、


どしどし どしどし


まだまだ 進むよ。


ラッパを鳴らして、

おーい!
そっちはどうだーい?


先頭は、
とっくに、化石になって、

夜の向こうは、

まだそれより先ということだ。

2007.11.6

うたうように ゆっくりと


ゆっくりと、雨がふっています。


やさしく そうっと

子守唄をうたうように

ぱらん ぱらん

ぎんざわざわわ


どこまでも

雨がふって います

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2007年10月28日

2007.10.27

大きな虹と出会った。


灰色の空に、ピカリと光る虹だ。


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なぜかその時、自分以外のすべては止まり、
この虹と出会っているのは、わたしより他にはないと感じた。
あるいは、みんなには、見えていないようだった。

あまりの大きさに、世界は果てしないと思った。

微々刻々と薄らいで、その儚さが愛しかった。

それほど儚いのに、風に飛ばされないのが神聖に感じた。
だからわたしは、追いかけずに祈っていた。


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わたしはいつか、
手持ちカメラで虹を撮りたい。

2007年10月15日

2007.10.15

 ある空の記憶


コギト エルゴ スム !
コギト エルゴ スム !
コギト エルゴ スム !
コギト エルゴ スム !
コギト エルゴ スム !
コギト エルゴ スム !
コギト エルゴ スム !
コギト エルゴ スム !
コギト エルゴ スム !
コギト エルゴ スム !
コギト エルゴ スム !
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2007年10月12日

2007.10.12

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公園に
桜が咲いている。


返り花の多い年は大雪になる。


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2007年10月11日

2007.10.10

ここに
コーヒーカップいっぱいの海がある。

猫舌を気にして、
ふーふーしてたら海だった。


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昼下がり、
思い切って、飛び込んだ。


空が眩しすぎたんだ。

そしたら、雲が青醒めて、
空はますます蒼かった。


いっぱいの海は波浪警報。

スプーン色した波が、
ざわざわ、水面を揺らしている。


ざわざわ、ざわざわ、
それは果てしなく広がって、
もうわたしの心も
海底でキラキラしています。


空はいよいよ眩しくて、
瞼に涙がにじんできます。


かなしみじゃない

あいのいろ

2007.10.9

ひとりぼっちの木の実が
雨に濡れて、
やさしい手を待っている。



ランプの灯で、
誰かが手紙を書いている。


いくつもの風景が
きらめきさわぎ、
私はまもなく出発する。


そうやって
(ちっとも変わらずに待ち続けている…)
また夢にかえっていく。

夜もコスモスは咲いている?
まだ雨が降っている?

またひとつだけ寒くなる。

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2007年09月23日

2007.9.22

そこはかとなく


はればれした淋しさに


また空を見上げる


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2007年09月04日

2007.9.4

真珠色の夜明け


はちみつの夕日


指先に、小さなフーガ


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自分をいけないものに決めてしまった

ごめんなさいが言えなかった

あの頃


わたしのネコじゃらし

わたしのキラキラ星

わたしのふわふわバニーちゃん


ソラマメのにおいのする散歩道


あなたのまつげで、秋がひと休みしています。


九月


風が吹いて、

わたしのなにかも飛んで行く…

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2007年08月30日

2007.8.30

月食

だけども影法師は消えず。

(かすかに揺らいだかもしれない。)


月食の影法師は長く伸びて、
わたしの肩にほの赤い
ダリアの花がとまっている。


(桔梗、リンドウ、竜のひげ、ススキ、ポンポン、宵待ち草)

草の名前を口ずさみながら、
ジェシカは花を摘んでいます。

きっと

大きな花束になるでしょう。

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2007年08月26日

2007.8.26

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その現実は、明るい緑色だった。


もう思い出せない
誰かの 遠い出発

過ぎる汽車を追いかけて
いつまでも手を振った

夏草を弄んで
中指を切った

傷ついた月を
幾夜も二人で眺めたね


自転車はジグザグに漕いだ。
風がシューと鳴った。

バイバイ ひまわり!

2007年08月24日

2007.8.24

ひぐらしが鳴く頃、

ああ、ヒマワリの写真が撮りたかった、と思う。

それは、桜の時ほど切羽詰まったものでなく、
ただ、来年を待つにはまだ遠く…、
ああ、だけど、
わたしの好きなヒマワリは、どこに咲いているのだろうと、
なんとなく漠と想いを馳せる。


最近は、道すがら、いろんな種類のヒマワリと出会う。

花の大きさ、八重咲、背丈の大小、葉と花の色…
同系種を区分するのが困難なほど、それらは繊細に違っている。

いろいろ目移りするが、わたしはやはり、絵に描いたような向日葵が好きだ。

葉色は断然、健康的な緑。

ヒマワリが太陽とともに回転すると聞いた時、
なんともいえず、わくわくした。
その日以来、ヒマワリには、空と雲と太陽がついてきた。


ヒマワリの原種は、たしか、アメリカ大陸だ。

コロンブスが、大陸を発見した時、
ひまわりが咲き乱れているのを想像する。

その強烈な印象が、全世界に飛び火して、
ひまわりが世界に普及した、…ような気がしてくる。

今見ている向日葵は、コロンブスの潜在意識だ。


この刺激的な花が、日本に根付いたのは、少し意外な気もするが、
この豪奢な存在感はいうまでもない。


ヒマワリ浪漫

そう、そして、
わたしの会いたい向日葵は…

…夢のようなウクライナのひまわり畑

…ゴッホを釘付けにしたあの時の花たち

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2007年08月14日

2007.8.14

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雲の王様が視察に来た。

ゆっくり太陽を横切って、

なんと優雅なことか。

2007年08月13日

2007.8.13

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愛用しているカメラが壊れた。
正確には、露出計が動かなくなった。

写真はオーバー気味が好きだし、
日頃、露出計など、さして気にしていないつもりが、
いざ、ピクリとも振れなくなると、
なんとも言えず心細い。

躊躇して、うまくシャッターが切れない。

トビウオは海に消え、
雲はその形を異にし、
深緑は騒ぐのをやめ、
花は妙にかしこまり、
全ては、
アンモナイトだ。

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モノクロームの世界。
今宵も花火が上がっている。

わたしは、
トマトをかじりながら見ています。

2007年08月10日

2007.8.10

今日、北の風が吹いた。


電信柱にツバメが4羽。
同じ方角を向いて、飛び立つタイミングを合せていた。

なごりを真昼の月にとどめて…
そのまっさらな青さが、
ツバメの旅立ちを阻んでいるように思われた。


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眩暈


ヒマワリの気怠い顔が眼下に広がる。

2007年08月08日

2007.8.8

朝の散歩に家を出たら、
風に乗って、
アカネトンボが集団できていた。

アカネトンボは赤トンボよりまだ色が浅い。
ほおずきのそれだ。

この時間、羽は朝日を映して香ばしく輝き、
アカネトンボが一日で一番美しい瞬間だ。

散歩にはトンボたちもついてきた。

前に後ろにせわしく飛んで、アカネトンボはややお節介なとこがある。
まったく、賑やかな朝だ。

犬たちは、ちょっと迷惑そうにしている。
っと、目をやったら、
野性児リキがトンボにかみついた。
或いは、トンボが誤ってリキの口に飛び込んだのかもしれない…
リキは、ちょっと苦そうな顔をして、モグモグそのまま飲み込んでしまった。

リアルな現実。
一瞬の出来事だった。

リキはなんでも迷いなく食す。
決して、お節介なアカネトンボへの見せしめ、などの深い意味はない。


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その後、勇敢なトンボたちは一緒に家まで戻ってきた。

お昼、郵便を見に外に出たら、
トンボたちは忽然と、皆いなくなっていた。
あれだけの大群がどこに飛んでいったものかと、
しばし感慨に耽っていたら、
横でリキがゲップした。

立秋です。

2007年08月06日

2007.8.6

夏休み
登校日


平和の歌を唱いながら帰っていると、
立派な入道雲の間から、小鬼がそうっとこっちを見てた。
赤鬼でも青鬼でもなく、
影色の、まだ子供の鬼だった。
淋しそうな顔をしていた。

私は驚いて、
目が合ったような気もしたけど、
再び雲を仰げなかった。

ひたすら、自分の靴先を見つめて、
ただ、リズムを保って歩いた。


あの日から、小鬼のことが気に懸かる。


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夏、
入道雲を見ると、
いつも小鬼を思い出す。

あれ以来、
小鬼に会わないけど、
今度、会う機会があれば、
力いっぱい手を振りたい。


きっと、
空の上も夏休みだ。

2007年08月05日

2007.8.5

白猫シモンが独り言。

「明朝、みつかけ星が異常に光ってたの知ってるかい?そろそろ雨だぜ。」


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2007年08月04日

2007.8.4

南風の強い一日だった。

夏、南風が吹いてる間はクラゲはこない。
これが地球規模で正しいかどうかは調べてないが、
私の暮らす町ではそのように言われている。

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今日は自転車がまっすぐに進まないほどの南風で、
海は水平線まで凪いでいた。
時折、沖合を船が通ると、
砂浜に波がこそばゆく走る。
夏と秋を行き交う空は、
雲を描き散らしていよいよ広く、
しかもまだ広がっているようだった。
海になじんだこの町にあって、
昼下がり、浜辺にはほとんど人影はない。
だが、空の印象で、海辺は明るく賑やかに感じた。

暴風林の松林は、
松ぼっくりがチェスの駒のように、
静かに何かの法則で並んでいた。

そこにも、南風が吹いてきた。

気にしてなかったが、
この地は、いつも風が吹いている。

海風と陸風
の狭間で私は育った。

2007年08月03日

2007.8.3

沛然たる雨の音。


この夕べ

天とわたしの間に、
遮るものは、もはやなく、
とおいとおいソラより雪がれる愛。

奇跡の飛礫。

雨音に身体を浸し、
五感は雨の一部となり、
深呼吸のたび、魂は宇宙へ溶け出す。


背の高い草はうなだれ、
花びらは色を映し、
星々はしばし瞬きを止め、
みなが、雨音と同体する瞬間!


小さな風がおこった。


その風は、スルスルと、
ウワバミの如く雨粒の隙間を擦り抜けて、

いつか、世界を飲み込まんとする。


うっかり、
深呼吸のとき、
それをまるごと吸い込んだ。

昨夜から、
迷子の風が、わたしの中でボーボー泣いてる。


雨音は、ますますドラマティックに木霊して、
わたし以外、
みんな消えて全部になりそう。


何か、いい煎じ薬を知りませんか?

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2007年07月30日

2007.7.30

明朝、
いつもの道を犬たちと散歩。
ビュー
時折、野分のような突風が吹いて、気持ちがツンとする。
夏は川沿いを歩く。

流れのリズムに歩調を合せ、水中生物を観察しながら歩くのだ。

たまに、カワセミが水に飛び込む。

カワセミを見る日はいいことがある。


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途中、
橋を新設するらしく、出来合いの迂回路を通る。

その緩かに蛇行した道は、
まだ色褪せないアスファルトに、葛の葉が迫っていて、
私は、ここを通るのが好きだ。


「葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を ゆきし人あり 釈 迢空 」


早朝の散歩を、好きな和歌に見立てて、
まだ咲かない葛の花をなんとなく心待ちに探してしまう。


と、道草思考していたら、
先頃おたまじゃくしを卒業したかと思われる、
アマガエルが一匹、昇天していた。

田舎道にあって、
この現象は、別段珍しくもない。
だが、今朝のは、
微妙に色が違う。

畳のような…はしばみ色なのだ。

気の毒に、と目を凝らしたら、

河童だった。


こんな、小さな河童を見たのは初めてだ。

そんな、私の感慨を余所に、
犬たちは立ち止まることなく日課をこなし、

私はぼんやり家に着いた。

そういえば、昨夜は満月だった。

うちの犬たちもよく吠えた。

この辺りの河童は、相撲をとるのが好きと聞くから、

殊によると、昨夜あたり、
満月の余興で、河童の相撲大会があったかもしれない。

今朝の河童はまだ小さいから、
その見物に来たのではないか?

慣れない出来合いの道での不幸だ。

早くまた生まれ変われるといいと祈る。

…カワセミではなく、河童を見た。

悪くない一日だった。


今夜は雨になればいい。

2007年07月29日

2007.7.28

それは
或いは
「氷は水より出でて水より寒し」

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とけかけた氷のかけらが、
この世界で
何より美しいと信じていた日。

変りたくないと泣いた。


ワンピースの裾に見とれて
クルクル クルクル
いつまでもまわっていたかった。

自分より
影法師が大きくて泣いた。


サイダーの泡が少なくなる
なんとなく
息が苦しくなった日。


八月。


変らないと
たどりつけない場所があるって
魂が
震える季節。


前進する

しぶきあげて

蝉しぐれが

宇宙の合図

2007.7.26

昨日、
雲の中を散歩してたら
見覚えのあるアサガオの蔓。

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水やりの時、最近、殊に発育がいいと感心していたら、ひょんなところで出くわした。

眼下では、
濃紺・浅紅を白で丁寧に縁取って、
風を讃えて
笑っている。

ゆーらゆら ゆーらゆら

飛行機に煽られて
ブルーとアプリコットは
空中ブランコ

ズンチャカ ピッピッ
兵隊蟻の行進曲

「ああ!それより先は、危ないんだから先鋒止まれ!」

蔓たちよ。
どうぞ、もう、その辺にしといて下さい。

でないと、空が、俄かに混雑してきています。

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今年も、タネの採取は一苦労。
秋空に変わったら、
オニヤンマにまたがって、
せっせ せっせと、
タネ集め。

ブルーベリージャムの瓶には、
青色アサガオ
ストロベリージャムの瓶には、
赤色アサガオ
ピーナッツバターの瓶には、
絞りのアサガオ

不明のやつは、ミックスジャム。


ああ…
今宵も
アサガオの挑戦は続くよ。

もう
お月が隠れそう。

2007年07月22日

2007.7.21

私のチチンプイ。

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「…夢と知りせばさめざらましを」

濁点のリズムが気持ちいい、はてなのおまじない、
なんとなく独りの時に口ずさんでしまう。

知れない小町の心境に、少しの憬れがあるかもしれない。

「ユメトシリセバサメザラマシヲ」

私のニュアンス
余韻の魅力
チチンプイ

美しい響

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私は葡萄の花をまだ知らない…

2007年07月08日

2007.7.8

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…アスファルトの上に、モンシロチョウが力尽きている。

花びらじゃない。
風に弄ばれる銀の羽に、まだ幾何かの体温を感じる。

ドキン。

もう、抜け殻なのかもしれない。
だとしても、鱗粉に、過去の記憶が散在するから、私は明るく見送れない。

ナノハナ畑もシロツメの丘も、今はもう逝ってしまった。
身を委ねる、やさしい風も今は吹かない。

この街の、モンシロチョウの季節は去った。


(ああ、だけど、何としたことか!)

この夕べ
モンシロチョウの群が、輪になって、美空に昇っていくよ。

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七夕
天上は曇り
まだ月もない。

ひらひら きらきら
一筋の光が、たまに揺らめき手を繋いで、
なんとにぎやかなことか!

クスクス クスクス
笑っているのは誰?

サワサワ
天の川をわたって、
そのずっと向こうまで、
モンシロチョウは続いていくよ。

カニ星雲も岩の下に隠れてしまった。

あははは あははは
モンシロチョウは翔けていくよ…

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2007年07月07日

2007.7.6

そういえば、
小さい頃、よくシーソーで遊んだ。

ギッコン、バッタン
ギッコン、バッタン

地面にはタイヤが噛ませてあって、体が気持ちよく弾む。

ギッコン、バッタン

リズムを保って、シーソーは決して急がない。

ギッコン、バッタン

雨上がりは水たまりになってる。

ギッコン、バッタン

風が土から空に向かう。

ギッコン、バッタン

笑いながら遊ぶと舌を噛んだ。

ギッコン、バッタン

手のひらが鉄錆臭くなってた。

ギッコン、バッタン

テントウ虫がたまにとまってる。

ギッコン、バッタン
ギッコン、バッタン


気にしてはなかったけど、最近の公園にシーソーがいない。


ギッコン、バッタン

シーソーは一人では遊べない。

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2007年07月01日

2007.7.1

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睡蓮よりハスの花
水面との距離がいいと思う。

銀杏より柳
風の感じ方が私に合ってる。

菖蒲よりアヤメ
ふつうの金魚が好きだから。

クチナシより沈丁花
あの薫りには温くてやわらかな思い出がある。


五月より六月
薔薇の花が飽和して大気が喜びに満ちる。

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樺の林
光と風の中に自分を忘れ…


薔薇よりスミレ
大切なあの人が、昔好きだと言ったから。


スコール
道草
樹の根っこ

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2007年06月30日

2007.6.29

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メアリー、オルガ、フランソワ!

お空で遊ぶヒツジ雲

昼寝の間に紅海を越えて、
モロコシ畑の風になってた

青よりも青く
ここは水の底の静けさ

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天上は鏡
手が届きそうで
「果て」は永遠の静寂

誰かの呼ぶ声が聞こえる…

ブルーサルビア!
プルースト!


ああ、ブリリアントな朝日が二つ。

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2007年05月20日

2007.5.19

手が届いたから
茱の実食べた

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…ルビー王子と手を繋いで駆けた
通り雨のしずく
世界が透明になっていく

緑の森は光りと水蒸気と吐息の絶妙なバランスで
それは美しい正午だった。

一年目、茱の花に気付かなかった。
二年目、楚々と咲く、花のさりげなさにはっとした。
三年目、花の季節をそうっと待ってた。
景色に溶けて、薄緑のそれは知っている人にしか姿を見せない。

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花を感じて実を味わう。
つぶらの実に秘められた「時」
防御の酸味、祝いと慈しみの甘み。

幼少時代、茱が実るのが待遠しかった。
やさしい記憶。

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茱の汁は、服についたら落ちません…

2007年02月09日

2007.2.8

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寝る前に、なんとなく手に触れた本を開いて
なんだか妙にひっかかるなと、ぼんやり開けたり閉めたりしてたら

そうか
午後に穿いてたスカートの模様と本の表層が同じなのだ。
それは深い森
森のみた夢
水たまりの夜明け

こういう偶然が私にはたまにある。

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2007年02月08日

2007.2.6

カシオペア座にバラの花

コロボックルはまだ一人でお昼寝ができない。
やわらかい陽射しにお花になったつもり。


この前、冬バラを撮りに行きました。

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2007年01月14日

2007.1.14

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昨日の夕映えはよかった。


草原に佇むりんどうの花みたいだったし、
健康に伸びる一本の清らな川のようだった。

あの夕映えをゼリーにして、
いづれくる真夏の昼下がり、
キンキンに冷やして戴いたら
さぞや美味しかろうと眺めていたら
そういえば、あの色…
よく熟れたすいか!

私はもう、カブト虫

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2006年12月28日

2006.12.28

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シンメトリー 
サンボリスム

パルテノン神殿の瓦礫
乾いたマラケシュの丘 
チーターの模様と星の謎


はにかんで泣くなら夕暮れ過ぎなの

みんながやさしくしてくれる時刻

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2006年12月27日

2006.12.27

空にうっすらと雲がのっかって、みずいろの窓はどこまでも私についてきた。

「もうすぐだよ」

汽車は呼吸して走るよ。

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荷物をおろした瞬間のあの解放感、
そのために幾度となく背負っていたのかもしれない。

枕木の神経質でない規則正しいリズムに揺られて、
…なぜだろう、
次の目的地への期待や興奮より、これまでの過去を振り返りたくなる。

新鮮な風景が憧憬を誘う。
時折、私は一生懸命に風景を追う。
私の気を引く、何かを知りたい。


「もうすぐだよ」

そんなとき、どこからともなく声が聞こえる。

そうだ、もうすぐかもしれない。

私は「もうすぐ」の持つニュアンスが好きだ。


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みずいろの窓は、少しずつその色が深くなって、
もうすぐ雪になるかもしれない。

2006年12月26日

2006.12.26

ただいま実家に帰省中。


いつもの時刻、お決まりの田舎道をクッキーと散歩。
今日は、冬眠している動物や虫達が、うっかり起きてしまいそうなポカポカ陽気。
昨日より、もっと透明な空気にキラキラキラ、太陽の波がゆらゆらキレイ。
トコトコトコトコ。
クッキーは楽しそう。
クッキーはほんとに散歩が好きだ。
私は、クッキーをもっと喜ばせたくて、途中の田んぼでクッキーと「もってこい」して遊んだ。
今日のおもちゃはピンキー。
ピンキーは不格好なわりに、わりと遠くまで飛んでいってくれるから好きだ。
ピンキーを投げると、クッキーは大袈裟に駆ける。
大袈裟に駆けてよく通り過ぎる。
わざとだと思いたい…。

なんだか見られているような気がする。
トンビだ。
まさか!と思った瞬間、ピンキーは空の彼方に翔んでいってしまった。
鷹と見紛うくらい、大きな艶のある羽が印象的なトンビだった。

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「食べ物でもないのに、近頃のトンビも変わったね。」
クッキーに言ったら、クッキーは幸せにもその出来事にまるで気付かなかったらしく、
必死にピンキーを探し回ってる。
シッポの振りかたでクッキーの興奮が伝わってくる。
30分ほど経っただろうか…

もちろん見つかるはずもなく、あきらめきれないクッキーをなだめて歩きだした。
家も近くなってきて、クッキーの速度は愕然と遅くなる。
帰りたくないのだ。
道草に何度もオシッコに立ち止まり、
ぽとん!
田んぼの中の電柱にトンビがとまっている。
その下に何か落ちる音がした。
もしかして?
トンビが去った後、クッキーと電柱の根元を見にいった。
ピンキーだ。
クッキーは反射的に飛びついて、一瞬不思議そうな素振りをしたけど、
ピンキーの存在に首を振り回して喜びダンス。

そして私は、なんともいえず爽快になった。
すごい!
なんでかっていうと、ピンキーを返しにきてくれたトンビは、
ピンキーを連れ去ったトンビじゃなかったのです。
羽もぼろぼろの小柄なトンビ。
きっと、母さんトンビだ。
ピンキーを持って帰った我が子を叱って、母さんトンビがわざわざ返しにきてくれたんだ。
ありがとうトンビ。

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それと、余談だけどね、そのトンビの存在にまったく気づかなかったクッキーも、
また別の意味ですごいって思うんです…。
ゆっくりおやすみね、クッキー。

2006年12月15日

2006.12.13

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昨日、冬将軍と栗拾いしました。
今夜は流星群祭りだって、冬将軍はウキウキです。
なんでも、願い事が83コあるらしくて、早口の練習も余念がありません。
もちろん、栗もせっかちに拾ってました。

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甘くて美味しい栗の渋皮煮。私は栗が好きです。

2006年12月09日

2006.12.8

(色を移し出す)
(時間を切り取る)

言葉にならなくてカメラをかまえ
収まりきれなくて言葉を紡ぐ
そうやって、私は私を解放してきた。

もう美しさに恐怖はない

紅葉の赤いのは、薔薇の情熱より、時折底知れぬものがある。
母のまなざし
祖母の帯


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2006年11月27日

2006.11.27

「今年も公園の上池に白鳥が5羽飛来した」

という噂は聞かないが、なんとなくそうなればいいと思う。


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とはいえ、昨年、私は人ほど白鳥に熱中しなかった。
なのに、なんとなく、また来ればいいと感じるのは、おそらく、飛び去る瞬間を見なかったからだ。
その瞬間は、きっと誰も見ていない。
そう、白鳥は、ある日忽然と消えてしまった。
チャーリーダルメシアンのおじいさんが、出会うたびに、
「白鳥がいなくなって散歩に張り合いがない」、
とつぶやいていたのは本当に可哀想だった。
お年寄りをこんなに気落ちさせるもんじゃないと、白鳥に腹が立ったのを覚えている。
白鳥は水の上だけを住家にする。
ゆえに、飛び去った後は跡形もないのだ。
それは、白鳥が居たはずの過去までまぼろしにしてしまうほどに空虚。
痕跡は、公園に白鳥を見に集まるまばらな人々。
もう居ぬ白鳥に群れる人だかりは、殺伐とした冬の公園を、一層もの悲しくやるせないものにした。
白鳥が去ってしまえば、公園は、依然、土色の冷たいオブジェだった。

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まじめに冬をじっと辛抱していたら、そのうち春がきた。
白鳥が飛び立つと同時に春がくる夢は果たされなかったが、
春は春なりのテンポでちゃんとやってきた。
季節は巡る。

また冬が来ている。

「白鳥がきた!」
というニュアンスが、今は気に入っている。
そして、私はいつか、白鳥が国へ帰る瞬間に立ち会って、
空の彼方までずっと手を振っていたい。

2006年11月24日

2006.11.24

今日の空はよかった。

水色じゃない、ブルーじゃない、空色の空だ。
そういう空は、「高い」とか「遠い」じゃだめだ。
「果てしない」のだ。

これは、今日の空を見ればわかる。

今日の空を、できるだけたくさんの生き物が見ていたらいいと思う。

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2006年11月12日

2006.11.12

まだ数えてみたことはないけれど

この砂浜のサラサラ砂粒の数よりも
きっと宇宙の星の数が多い

なんとなくそんなことに気付いてしまった。

想像が私の脳を蹴飛ばした。その衝撃にココロが陥没。
そこにみるみる潮水があふれて
宇宙の海が私に宿った。
それを碧丹と呼んでいます。

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2006年10月15日

2006.10.15

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ええ、もう、なんてっても私、蚊に対しては、憎しみしかありません。

今度、いっしょに、森へ行かない?

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2006.10.15

夜半の風呂蓋に猫2匹。
本気でなく追い払うけど、やっぱり退かない。

フタを気持ち慎重にあけ、お湯につかる。
目線の先に猫2匹。


私にはそういう淋しがりのところがある。

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2006年07月07日

2006.7.7

もし私が織姫なら、もうとっくに気が触れて、天の川に身を投げてるね

それにしても、彦星だって情けない
この状況に甘んじて、ちっとも努力しないじゃないか!
織り姫が好きなら、すべてを失ってでも行動すべきだ
二人して、変に冷静で、みんなに同情を引いてさ、なんだか妙に気に入らないね


だから、今夜は冷麺!
以前から、具材の彩りが、祈りの笹竹にとても似ていると思ってたから
二人の濁ったハートは胡麻だれ
祈りの笹竹ムシャムシャ食べて、なよな二人に抗議してやる!
お前ら、いつまでも、甘えてんじゃねぇ!
地球はまわっているんだぜ!
時は流れているんだぜ!

手に手を取って、太陽系を飛び出して、誰にも知れない秘密のソラまで、
二人どこまでも翔けていけばいい

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祈りの笹竹より、誓いの笹竹

さぁ、銀河系を駆け抜けろ!
7月7日は脱走記念日

2006年06月26日

2006.6.26

久しぶりに公園に行ったら、バリケンに友達が出来ていました。
目付きの悪い、2羽の太ったアヒルです。
ガーガーガーガー
せわしなくしゃべってる。
ああ、だけど、バリケンは声を発しない。

ということも、あの2羽は気にしてないみたいだね…。。
友達出来て、良かったね、バリケン。

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2006年06月23日

2006.6.23

大きくはないが狭くもない、あの川に沿ったあの道は、この時期、靄が立ち込めた。

私は、暗い道と呼んだ。普段あまり通らないのは、その道と平行して30メートル程先に、
それより広い道があるからばかりではない。
その道は、川の流れのまま、不規則に柔らかく蛇行していて、決して長くはないのに先の知れない、
トンネルのような異界を感じた。その頃の私は、尋常なく異界に敏感だった。
それくらいに、異界は、常に私を見張っていたし、その入口は、いつも突発的に私の目前に出現した。

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道の途中に、一本の大きなネムの木があった。

「あの葉っぱなでるとお辞儀するのよ」

誰かに言われた。だけど、あの木は大きくて背も高かったから、私は一枚の葉にも届かなかった。
私はその植物に、まだ触れたことがなかった。


…この時期だったような気がする
風に身を委ねた靄の風景は、私の記憶を曖昧にしている…

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大木は、夢のような鴾色の花をつけた。
ぼうっと放たれる…、その花の存在はあやふやで、私は、もっと近くに行きたいと思った。

「あっちの道でお祭りがあってる」

私は、あの花が咲くと、心の中でそうつぶやいた。


雨上がりの湿度が、鉛の如く全身に張り付いて、あまり上手に歩けない。

私は、うっかり、あの道を歩いていた。異界の口が開いていたのだ。
あとずさるのは、前進するより恐い気がする。隠し事は背中に隠した。
私は、なるべく前だけに集中して、その道を丁寧に進んでいった。

「…お祭りがあってる」

なんという軽やかさだろうか!ネムの花々は、美しい生まれたての羽でできている。
ほら、あんなに高い所まで、たくさんの花が留まっているよ。

すれちがう瞬間、木がお辞儀した!
立ち止まって、私もゆっくりお辞儀した。

そして、またそうっと歩き出した。
もっと、じっくり、その木を見たいと思っていたけど、その行為が無礼な気がして出来なかった。
礼儀正しい会釈の挨拶。私は、このきっかけで異界を味方にした。
異界は、それから私にやさしくしてくれる。

「ネムって、『合歓』って書くんだね」

だいぶん大きくなってから、ある人に言われた。
(歓び合う)
この表記は、合歓の木にとても似合っている。こういう発見は、私もいつか、特別な人に教えたい。

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靄が出ている。

…今日も、すべからく合歓の木は、ゆっくり合掌してからお辞儀をする。

2006年06月16日

2006.6.16

今宵月が昇ったら、公園へ、紫陽花泥棒に行きませんか?
ああ、みなさん、花バサミを忘れずに。

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2006年06月12日

2006.6.12

豆腐屋ジョニーは朝が早い。
フクロウの眠る頃、ジョニーはゆっくり毛布を剥いだ。
まだ朝日の射さない窓に向かって、ジョニーは深々とお辞儀をする。
そうすると、今日一日のエネルギーが、指先まで満タンになる気がするのだ。
窓から、クチナシの匂いがほのかに香った。午後から雨が降るかもしれない。

ジョニーはそれから拭掃除をする。
この時刻が、埃達が一番静かに沈澱してると、昔おばぁちゃんに習ったからだ。
毎朝、決まって掃除をするのは、別に、ジョニーがきれい好きだからじゃない。
一般に思う「そろそろ掃除でもするか」のタイミングがわからないだけだ。
ジョニーはわからないことがまだたくさんある。わからないことは、いくら考えてもわからない。
だから、掃除は毎日することに決めた。

一通り部屋を清めると、ジョニーは自転車で町を一周する。雨の日も傘はささない。
規則正しく自転車を漕いで、町の変化に気を配りながら、さりげなく精神を統一させる。
そのうち、自分が内側から、張り詰めてピンとなる感じがなんともいえない。
息は絶対乱したらダメだ。

一等高台にある塔に着くと、天気の日、そこからだけ見える島を見るのを楽しみにしている。
正確には、そこから島が見えると、今日は天気だと思うのだ。

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ジョニーは、いつかその島で暮らしたいと思っている。
豆腐屋は、水のきれいな海辺の町がよく似合うような気がするからだ。
豆腐を売り歩くラッパの音色と船の汽笛と海猫の鳴く声…

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そのイメージは、ジョニーの想像する幸福に限りなく近かった。
ジョニーの幸福は、あの島にある。ジョニーは島の名前を知らない。


町を一周して部屋に帰ると、パンを食べたら、もう店に出る時間だ。
太陽は、いつの間にかすべての世界を明るくして、キラキラ…、
いろんなものにそれぞれ色を加えている。
確固たる存在のない、色という事象も、以前から気になる、わからないのひとつだ。
僕の好きなあの色は、みんなにはどんなふうに写っているの?
そんなこと、とても怖くて一生聞けない、と、ジョニーはまた心の角でつぶやいた。

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店にもジョニーは自転車で行った。
今日もジョニーは、豆腐屋で店番をしている。

2006年06月10日

2006.6.10

私はどちらかというと、季節を重んじる方だと自負しているのですが、
夜中のコタツと、夕ご飯の湯豆腐は今も欠かせません。
湯豆腐を全身汗だくになって食する感覚は、それはそれで、この季節を満喫してると言えなくもない…
といっても、この感覚に付き合ってくれる人物はほとんどないのもまた事実。真理なり。

偏愛のひとりよがりは、そこがまた愛しく思えるのです。
今夜はいつもの材に加えて、弓なりのオクラを食そうか。

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朝焼けの花びらはとうとう朽ちて、深緑の葉が一層みどりに感じられる夕暮れです。
久しぶりに、蝙蝠が飛んでいるのが見たい気がします。

今朝の6月の空は良かった。

2006年05月25日

2006.5.25

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感謝の薔薇とありがとミツバチ

広く澄んだどういたしましてのソラ

ちょっと強めの心地よいルル風


右手と左手
大切なものをひとつずつ

レンブラント光線に産毛が透けて、そのまわりで、
森の精霊たちがにぎやかにダンスしています。

ゲップで未来の夢を語ろう。
ハレルヤ!

2006年05月14日

2006.5.14

オレンジ、レモン、パイン。
お日様のいない夜には、聞き上手のすこやかなひまわり。

ラズベリー、グレープ、ライチ。
朝早いのは、ピーチとカルピス。
最近、清涼ブルーは人見知り。
真夏の夢は、湿った明け方に訪れる。

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…5月11日、ひまわりとあさがおの種を蒔きました。

2006年05月04日

2006.5.4

コトコトいうのは、甘夏みかんのマーマレード

ほろ苦いのとほっこり甘いの
どうせ作るなら2種類は作っとかないと。だって、私は気まぐれだからね

ほろ苦いマーマレードは、ヨーグルトとアーモンドエッセンスを引き連れて、
翌日、フレンチトーストに変化

サクサク、ポリポリ、頭蓋骨に心地好い音色

ひらべったくて、細くて、乾いているのが、私は基本的に好き

甘いマーマレードには、バターとチーズ、こんがりトースト

アボガドにはハムとハチミツ、時折、粒マスタード

貧乏サバラン、食いしん坊の好みの朝食

飲み物も重要

今日は、薄めのコーヒーをおかわり

最後に必ず、お菓子をひとつ
それが、小さい頃からのきまりなんです。

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2006.5.4

あの日、眠れなかった夜に届いた手紙

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「少しずつ薄い皮を脱ぎすてようとする少年
世の中の重圧を背負ったように明るく振る舞う少女
羽がないことに嘆いたり圧倒されてはいけない
いつかきっと彼女が真実だとわかるときがくる
彼女は何でも知っている
あの日の合唱が聞こえてくる
いつかの夕方
遠くから一人で眺めてた、みんな嘘つきだと思った
彼女は優しく笑う
死んだ人は光になるんだよって教えてくれた
彼女は全てを知っている、
それから華麗にダンスを踊る
今、少年はこれからを生きるために新しくシューズを履きかえる

今日も君をそばに置いて眠りにつくよ。」

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エスターシャ!
ガラスの中の白い小鳥。
左の靴下がすぐ下がる。
ゆりかごの唄をカナリアが謳うよ。

アムール?
妖精は、媚薬に睡眠とあたたかい夢を約束した。
遠くで誰かの呼ぶ声が聞こえる。

眠れぬ夜に読み返す。

2006年04月29日

2006.4.29

そのバリケンは、公園の池の縁をスミカにしました。
しかし、私は、そのバリケンが水に入って泳ぐ様を、一度も見た事がありません。
バリケンは、おそらく、泳げないのです。

何故、池の縁にいる?

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バリケンは、もともと南米に生息するらしいのです。
公園の親切な貼紙に、そう書いてありました。
そしてその紙に、このバリケンは、従来は飼われていたもので、
誰かが捨てたのが住み着いたのだろうと付け足してありました。
日頃のこのバリケンの、なんとなくふてぶてしい態度の裏に、
そんな哀しい過去が潜んでいたなんて!

池の縁から離れないのも、飼主が迎えに来るのを待ってる所以かもしれません。
よく観察してみると、たまに遠くを見つめている…ようにも見えます。

ああ、可愛そうなバリケン。クッキーは、毎朝、あなたを追い回すよね。
あなたは、決して羽ばたかず、垣根を縫って回避してるね。
そうだ、あなたはきっと、翔ぶことも出来ない…。ああ、可愛そうなバリケン。

明日もクッキーに追い掛けられるね。。

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元気出してね。。

2006年04月23日

2006.4.23

春は馬車に乗って、
5月は薔薇の季節、
ワルツが聞こえる、
ミツバチのダンス

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目指しているのは、
空中イチゴハウス
温かいうちに「さぁ!」召し上がれ!

夢の中で見た景色、
ブランコが揺れる、
ナイフの先に光る、
あれは5月の冷汗、

シロツメ草の花冠、
私はここの女王様、
通り魔が時と共に、
鱗粉をまき散らす
長い髪をほどいて、
ねぇ、一緒にここで眠りましょう!

林檎の花が咲いた、
白い花びら綺麗ね
私は、誰に問うた?
いつも一人だった!

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悲しみは、いつも外側で感じていたい。
つりがね草を、ココロの垣根にたくさん植えて、
侵入者には鐘を鳴らす。

鴇色の夕日が涙をこらえて、
私を憐れんで見ていました。

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今日はこれでおしまい。

2006年04月22日

2006.4.22

こんなに鮮やかに晴れた日は、彼等の旅立ちを想起する。

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私の家は昔から、なぜだか稀に、迷子のカメが滞在、逗留していきます。
それは、長雨の翌朝、玄関を開けると、こちらを真っ直ぐにみつめて、
「お世話になります」という風体で、忽然と姿を現わすのです。

そのカメ達をとりたててもてなすこともなかったけれど、邪険に追い払うこともしませんでした。
彼等は、庭先の石の上、芝生の緑、ツツジの木陰、木盥の水の中…
ようようの場所にくつろいで、逗留を楽しんでいるようでした。
私はカメに詳しくなかったし、別段すごく興味も湧かなかったけれど、家に動く者がいる感覚は新鮮で、
それも、坂の上にある我が家を選んで?やってきた訪問者に、ある親しみを持っていました。
それは、私以外の家族にも当て嵌まるようで、各々がなにげなく、カメ達の動向を観察しました。

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不思議に思うことはいくつかありました。
家は川のそばでもなく、池があるわけでもありません。
ましてや、おいしい食事を出すわけでもありません。
記憶にあるのは、ご飯粒をあげたくらいで、それも果たして、食べたのかどうか…
カメ達は、いったいなぜ我が家なのか?カメしか知れない、道しるべでもあるのでしょうか?

どこから来て、それから、どこに行ってしまうのか…

庭先に遊ぶ様子は、いかにも呑気で、観察しているこちらも欠伸が出るくらいです。
一日中、同じ場所から動かない奴もいます。
にもかかわらず、やってくる時といなくなる時は、
消えてしまったようにその存在がパタンと「無」になるのです。
それは、なんともいえない空虚の念を、幼い私に植え込みました。
こんなミステリアスな現象のわりに、動くさまは相変わらず武骨で、キレもなく、
果たしてこの現象と事象につながりはあるのか…、そんな事を考え込んだりもしたものです。

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訪問の驚きもさることながら、旅立ちはさらに突然でした。もちろん、挨拶などありません。
何匹かの旅立ちを経験して、私は、その後のカメの旅立ちを予見するようになりました。

朝起きて、空がまぶしいと窓を見て、鰯雲など出てる日は、旅立っていることが多いのでした。
私はその予見を、さりげなく、学校に出かける時に確認しました。
それから、旅立ったカメ達に再び出会うことはありません。
行きに依ったのなら、帰りも依って行けば良さそうなものだけど、
そんな律義なカメにはいまだ出会いません。

だけどもしかしたら、カメの世界では、年月の経過が、私が感じるより随分とゆっくりで、
カメにしてみたら、旅立ってからまだ幾日も過ぎてないかもしれません。
最近、なぜか、そう思えるようになりました。

「消えた」と直感したあの感覚は、カメ達がどこか別の時空に旅立った、
唯一の証しだったかもしれません。
あるいは、私もあの頃より年月を経て、
以前みたいに時間の流れを感じないからかもしれません。

いづれにしても、どれもこれもあやふやで、私の記憶さえもあやふやなようにも思われます。
だけど、確かに、カメはやってきたし、今日のような鮮やかに晴れた日にどこかへ旅立ったのです。

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それは、焼きたてのクッキーの香りに、ある種のノスタルジーを感じるように、
私の中に染み込んでいて、こんな日には、思い出さないではいられないのです。


カメに名前をつければ良かった。

2006年04月12日

2006.4.12

スミレ色したチューリップ。
急いでいる時の、ニンジンのみじん切りは大嫌い。
タマネギならなんとか平気。
パセリは乱みじん。
ジャガイモの皮はほとんど剥かない。

今日の湿った空気は、昔嗅いだことのある匂い。
あの時、グラジオラスの球根を、確かに花壇に植えました。

コスモスとタンポポの共通点は?

今日の花束を空に掲げて、ため息と深呼吸をふたつ。

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2006年04月06日

2006.4.6

最近のソラに雲を見ない
最後の渡り鳥と一緒に飛んで行ったみたいだ
今シベリアのホテルは満室
北で落ち合ってこれからの行方を、この2日で決定するという話だ
今年のトレンドは、「あまり群れないで浮かぶこと」
理想の形はレンズ雲
インパクトが重要だ

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シベリア土産はオーロラ饅頭
その時の気分で味が変わります

2006年04月03日

2006.4.3

air sands 光るカイト
うさぎをイメージした、白くて長い毛糸の帽子
冷たい四角のコンクリート 回る自転車…

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「この曲好き」って、もっと素直に言えた頃。
私は歌うのが好きだった。ピアノを弾くのが楽しかった。
先生には秘密…、スタッカートでジャンジャン編曲、
行進曲をありったけの力込めて、鍵盤叩くのが好きだった。

あるいは、「貴婦人の乗馬」!その明快なリズムと、曲目と、なんといっても、
ブルグミュラー練習曲の最後というところが気にいっていた。
私の弾く「貴婦人の乗馬」は、軍艦マーチのように勇ましかった。

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今日は、朝からこの曲が、私の中で渦巻いている。
しかも私が、かつて、弾き殴ったほうのそれだ。コミカルな目覚め。

私はいつしか大人になってて、ハーブティーをガブガブ飲んだ。


道に、グランドに、池の水面に…
サクラの花びらが無限に散って、この時間、季節が飽和した。

サクラには目もくれず、野球のボールを追いかけて遊ぶ少年の姿に、
このサクラはよく映えると感じた。
(まぶしい光。)
ユキヤナギをかざして遊ぶ、まだ幼い男の子。
男の子達の不安定な動きに、ユキヤナギは夢のように揺らいで…、
それがスローモーションで私の脳裏に木霊する。
過度に露出してシャッターを切る感覚に似ている。

気持ちいい。

そう、気持ちいい気持ち。

あべこべなタイミングで、いろんな事象が一致した瞬間!
信号機の色が変わった。

太陽を覆いたい雲はなくて、果てしなく雲は存在を忘れ、
ソラを埋め尽くす花の影で、たまに千切れて飛んでいく、
弓矢はまだ刺さったままに、あざみの花がわらっている、
私は手を繋ぎたいと感じる、
そんな瞬間!

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瞬間が波紋になって、私が常に瞬間!
私はこの瞬間生き続ける。

2006年04月01日

2006.4.1

ここは、
「ロマンチックレストラン。」

(美味しいね、美味しいね。)
ひそひそ、フォークとナイフがおしゃべり。
おしゃべりのテーマは、これからの楽しい未来。

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私の前世は魚だった?

昨日…、ヌルンと硬い、クジラにぶつかって死ぬ夢を見た。
私は、故郷を目指し、ぐんぐん水中を駆け抜けていた。
激しい衝撃!
真昼の空に風花舞って、それらが星の瞬きに変わった。
私は睫毛の隙間から、ぼんやりと、それらの変化を見つめた。
それらは、精一杯、美しかった。

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…波の音に頬が熱くなる。

私の前世は、レモン色したミニバラだった?
海を見下ろす岸壁、私は5月に花をつけた。
誰に気付かれることもなく、私は、ゆっくり深呼吸するのが好きだった。
潮風に花びらを弄ばれて、私は、波のもっと先を想った。
一瞬、太陽が遮られた!
ハトロン紙が飛ばされていく…

郵便配達の青年が、崖の上からこっちを見ている。
配達するはずの手紙だったか…、青年は、いつまでもこっちを見ている。

今も、絶え間ない波の音と、あの青年のまなざしが忘れられない。

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私は明日、小さな花柄ワンピースが着たい。

2006年03月25日

2006.3.24

春の海 野いちごの味 花曇り レースの襟の白いブラウス
ピーピー豆はカラスのエンドウ 線路のわきの白い花々
麦藁の予感 リストのピアノ 昔観たビデオテープの新鮮な青空の色
雲の形 展覧会 打ち上げ花火 キラ星ひらり 月の記憶
露骨すぎるアイスクリーム レモンの皮 回る地球儀 旅立ちの鞄
おだやかな気分 ディカフェのコーヒー 春色のペン 大好きな花束
赤くて甘いトマトが夜食 硝子玉を光にかざした さくらんぼのリキュール
ちらほら桜 白昼夢見た 風に飛ばないようにホッチキスでとめよう。

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2006年03月18日

2006.3.18

わすれな草を、わすれな草と知らない頃、
私は、わすれな草が好きだった。

初めて見る小さな花。しかも、ピンクとブルーが茎の上で花束になってる。
正確には、ツボミがピンクでハナがブルー。それは本当に小さくて、私は、
宇宙で自分だけしか知れない秘密を見つけてしまった興奮に、キュキュって胸が高鳴った。
石垣の隙間、踏みしだかれた硬い畦道、用水路のひび割れ、
整理されてない山路のわずかに陽の射す斜面…
わすれな草は、いつでも、あまりにさり気なく咲いていた。
私はそれらを丁寧に探して、そして、必ず見つけ出した。
時折、それらを母に摘んで帰ると、こんな小さな花をよく見つけたわね、
って言われて、私はちょっと誇らしかった。

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しかし、わすれな草は弱かった。飾るのはガラスのお猪口。
花達は、決まって、朝日を見ないで萎れていった。
…私は、わすれな草を摘むのをやめた。

わすれな草が好きだったから、ある日、その名前を知りたくなった。
私は、期待を込めて、植物図鑑を丹念に捲った。それはあった。
「わすれな草」…愕然とした。
なんて、悲しい名前だろう。 (わすれないで…)
そのニュアンスがだめだった。忘れないで、そう願うくらいなら、私は、忘れられた方が心が晴れる。
その願いは、あまりに他力本願で、エゴイストで、成就されない、
独りよがりのセンチメンタルを秘めていた。その響きに、幼い私は気付いてしまった。
それからの日々、わすれな草を探すのをやめた。

そんなすべてを忘れた頃、私は、花屋でわすれな草の鉢植を見た。
花は、改良されて5倍くらいに膨張し、あの淡泊なピンクとブルーは、
脳を刺激するパッションピンクとトルコブルーに様変わりしていた。
それは、なんとも異形の植物。私は、…ただ目を閉じた。
そして、心の中で思った。 (あんなことを願うから…)
そのわすれな草は、今はもう狂気としかいえない明るさで、花屋の路地を埋めつくしていた。
後悔を花びらの裏に隠して、呆然とそこに並んでいた。怖くなった。

久しぶりにこの季節、私は、幼い日の空間を歩く。
いろんな目覚めの草に混ざって、わすれな草の葉っぱを見つけた。
その葉は、まだ見ぬ世界に震えて、うぶ毛は緑をやわらかくしている。
まだ花の姿はない。

私は、わすれな草の、もう一つの名前を思い出した。 「キューリ草」
由来は、葉を揉むとキューリの香りがするかららしい。私は、葉を揉んでみなかった。
もう、この草の花とやり直すことは出来ないけど、…キューリの香りがすればいいと思う。

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2006年03月17日

2006.3.17

タネなしプルーンを買って食べたら、一個目に種が入ってた。
その現実に、すっかり恐れをなした私は、二個目を細心の注意でもって噛み締める。
みっつ目、よっつ目…、種はまだない。

日を繰り越して、袋のプルーンをたいらげて、結果、種が入ってたのは最初の一粒だけだった。
それ意外は、文字通り、タネなしプルーンだったんです。
私は考えた。
最初に種に当たった事実。二粒目からのプルーンに対峙する態度の変化。
偶然でなくて必然…、だとしたらその真理は?

それは、未だに謎のままです。だけど、最近、よくプルーンの事を考えています。
パッケージに、万一の種にご注意と書かれているということ。
故に、取り立てて珍しいことではないだろうという予測。
実際種に当たった人のわりとあっさりした感想。(これはきっと一粒目と、その他多数の違いだと思う。)

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私は一昨日、また、タネなしプルーンを買ってみた。
今のところ、まだ種には当たらない。その心境は、ホッとしたような物足りないような…、
…とても複雑。
それは、水の上に浮遊している、葉っぱの上に腰掛けているようで、なんだかちっとも落ち着かない。
種を望んでいるはずはないけれど、種に当たればなんともスッキリ、安心するような気がしてならない。

周知の事とは思いますが、本当に、たいしたことではないんです。
ただ、ちょっと気になるだけなんです。

プルーンの種は、アーモンドの実とリスの瞳に似ていました。

2006年03月15日

2006.3.15

6日前にマニキュア塗って、今、ちょうどいい感じに、私となじんできています。
私はこれくらいが気に入ってます。

あまりきちんとそろった爪は面白くない。というか、照れくさい。
指先が丸くなって切り絵みたいに無造作に剥げて、伸び出した新しい爪は、先のそれとはまた違った、
若い色合いで生えてきて…なんでもない、むしろ怠惰なこの現象が私を安心させてくれるのです。

この不揃いな爪は少女の記憶。ありったけの野の花摘んで、草色になってた指先の記録。
海水浴で砂遊びして、じゃりじゃりに、砂がつまった爪の記録。
どんぐり拾いはあまり汚れはしなかったけど、日が沈むまで夢中に拾って、帰りはいつも、
指が真っ赤にかじかんだ。本格的に寒くなると、私はいつでも手袋をしていて、なんとなく暖かくなる頃、
つくしのように指先の腹が薄くやぶれて顔をだした。

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私は、あまり塗らないくせにマニキュアが好きです。しかも、誰かに塗ってもらうのが好きです。
自分で塗るのは、いつも上手く塗れないし(あんまり自分で塗ったことないから)、
なぜだかちょっと恥ずかしい。
それから、誤解されやすいけれど、始めからキレイに塗れてないのは大嫌い。
あくまで、爪と過ごした過程において、気付いたら剥げているのがいいんです。
だからといって、このマニキュア理念に深い信念があるわけでなく、
「そういえば、私はそうだなぁ」くらいの発見です。

だから、もし私をみかけてマニキュアが剥れていたとしても、
それは面倒臭いんじゃなくて、好んでそうしているのです。
って言ったら、ちょっといいわけみたいかな…

次は、サクラ貝色にしよう。

海岸は、今、ラメ入りサクラ貝が話題です。

2006年03月03日

2006.3.3

イスラエルで見たアーモンドの花が忘れられない。

3月だったと思う。

ガードレールがあった気もする…
みんなスピードを加速して、通り過ぎてしまう、峠の片隅にそれはあった。
サクラより武骨な幹に、やっぱり、サクラより猛々しい花びらをたわわに身に纏って、
鮮やかなる完全武装。行き過ぎる車の振動くらいではピクとも揺れることはない、
ギュッとひしめき咲誇っていた。なんて強い意思だろう!
あまり風を感じない、太陽も照り過ぎない、ミツバチの羽音が、車の騒音と花びらの中で木霊した。
あの存在…

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あれからどれくらい経ったのだろう。
あの花盛りは、やがては葉を繁らせて、時期が来て、実を枝いっぱいにつけたのだろうか……。
そんな当然の経過が、あの木はまるで想像がつかない。あの花の群れはキョーレツだった。
白より、一層白くて尖っていた。白の意味は?
私は花しか見なかった。
何にも寄り添わない、景色からも切り取られた… あの一瞬!

うずくまる。
私は、なぜあの場所にいたのだろう。
なぜアーモンドの花と思ったのだろう。
思い続けているのだろう。
忘れられないのか…


白昼夢の彼方に、あの日の私とあの木の存在がおいてけぼり。

2006年02月25日

2006.2.25

オリーブの実、かじった。
少しだけ、大人ってこんな感じかなって意識した。
初めてのオリーブは、炭酸で流し込みたい違和感があった。


…最近観た映画の、埃っぽい風と、女の人のアップが忘れられない。

映画のような日常とか、日常と見紛う淡々と過ぎるフィルムとか、そういうの、
どうでもいいって思ってたけど…(その表現が内包しているナンセンスな部分が不快だったから。)
だけど、まぁ、そういうのも在るかもしれない、ってなんとなく今なら受け入れられる。

私は映画が好きだったから(過去形ではない断定)、「映画もどき」に敏感だった。
そう思われるのは、自身を否定されるより尚さら恥ずかしい。「映画のような…」ってなんだろう。
いつもなんとなく思っていた。多分深い意味はない、単純なはずだ。
もちろん、答えはひとつじゃないって知ってるけど、私が最近見つけたお気に入りは、「ゆさぶる」です。
私は今は、なんとなくそんな、気がしています。
そしてそれは、あくまで個人的なものでいいような気がします。
それが、私の心地よい映画の見方です。
こういう秘密は、あまり公表すべきではないと思ったのですが、
今日は映画のような朝だったので、ちょっと試してみたくなったのです。

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最近、クッキーはブログ書かないなぁ。まだ寒さに指がかじかんでいるのかなぁ。
それとも眠っているのかなぁ。

2006年02月23日

2006.2.23

「遠くから」

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羽根切りされてないインコの群れ。
何かつぶやいて、それらが一斉に飛び立つ時、今日の午後が弾けた。
薄くてやわらかな水色…それは、いつもより、もっとずっと、高い所にあるようだ。
私は、夢中になってそれらを見上げ、太陽の粒子にくしゃみする。
(大気に赤くなったバラの実が、鋼の辛抱強さで、いつかと変わらないまま、そこにあるということ。)
しかも、彼らは生きているのだ。棘も茎も萎れない、作り物ほども傷つかない。
現象!
…この午後にふさわしいと思った。

色とりどりのインコの群れは、私が昨日徹夜して作った、色とりどりの花々の壁画に、
…しばしとどまって、それからまた、あっちの方へ行ってしまった。


「近くから」

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ぺんぺん草、ヒメオドリコ草、雪の下、野路すみれ、ひよこ草、オオイヌノフグリ、
野イチゴ、蛇イチゴ、紫ケマン、ボウボウ草、キツネノボタンはきんぽうげ…
しとど降る雨の中、春の香が薫った。
…それは、こんぺい糖のトゲほどのきらめき。少女が、スカートを翻して、その大地を駆け抜ける。
その瞳はうつむかないから、きっとまだ、恍惚の変化に気付いていない。
私は、その大地を、踏まないようにそっと歩いた。

ああ、だけど、シロツメ草が見あたらない!
この午後、春が来て、花びら舞って、笑い声がして…、かぶるは、不完全な花冠。

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時を刻めないカチコチカチ、メトロノームが加速していく…

2006年01月13日

2006.1.13

白鳥を見るため池を囲んだ人々は、白い服を着て来る人が多い。
不思議な気もするし、ごく自然な現象にも思われる。

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2006年01月07日

2006.1.7

引っ越した先には、大きな池がありました。

その池が、1月3日の宵の口から凍り始め、微かに波打つ湖面に星影が美しく、
カシオペア座は水蜜桃の匂いがしたような気がします。
これが、初めて見た夜の池です。

解けたり凍りついたり…、繰り返し繰り返し…、今朝行ってみたら白鳥が5羽飛来していました。
毎冬の年中行事なのか、あるいは稀なことなのか、私にはわからないけれど、
白鳥は戸惑った素振りもなく、やわらかな太陽に背筋を伸ばしてスルスルと湖面をすべっていました。

白鳥達に先住のカモメもカモも続いてすべり、私はその縁をクッキーとフラフラ散歩しました。
冷たい風は湖面の氷そのものです。散歩の歩調はいつもと変わりません。
立ち止まるのは、いつもの湧き水のほとり。
この体験によると、私はそこまで白鳥が好きではないみたい。鳥類は、小さいほうが雰囲気があう。

小枝を揺らして翔び去る瞬間。雲の中からチチと呼ぶ声。
叢にはじかれて群れが目の前を横切る。燕は柳の若葉に憩う。
雨を待つ仕草。梅花の香りに誘われる…

私は、いままで、そうやって小鳥と過ごしていた。

これから、いつまでの冬か、この白鳥達とどうやって過ごそうか…

ああ、だけど、この5羽の白鳥が飛び去って、そしたら春が来るというのは、
ちょっと素敵な未来かもしれないな。

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2005年12月08日

2005.12.8

黒猫の街にさよなら。

落ち葉もほとんど散ったので私も引っ越すことにしました。
行き先は、スイス!だったらいいなぁ。
リスボンの、路面電車が走る地区も憧れるなぁ。

ゆえに、そのどちらでもありません…。
だけど、ここより、空が近くに感じるところです。

クッキー、一緒にまたいっぱい歩こうね。
たまに、肉まん買ってあげる。ネギ抜きね…。

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2005年11月30日

2005.11.30

今日は一段と風が強かったから、カメラを持って散歩に出掛けた。

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これは昨日の話…

馴染みの樹々が、その幹を露にして、見上げると、モノトーン調が冬空の深みを増している。
意外だったのは、銀杏が最後に黄葉したことだ。

始めに欅や西洋カエデが色づいて、特に日当たりの良い、背の高い樹々は、
我先にと、この土地に秋を呼び込んだ。
次いで、桂や、常用樹に寄生した蔦が色づいた。深緑の上の赤や紫は美しく、川沿いの道を彩った。
それから、桜やホウの木が色づいて、その樹々の占める割合に、街の景色が圧倒された。
紫陽花ミイラの並木道も、この頃が一番美しかった。
この並木は、6月からゆっくりゆっくり時間をかけて、
いろんな色を映してようやく、この飴色に辿り着いた。

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そして、今日…
昨日までなんとなく歩いた道が見違えた。銀杏が黄金に変わったからだ。
あの肉厚の葉は、鮮やかな黄色をたっぷりと讃え、陽に透けない葉脈は、美しい輝きへの自信だった。
もの愁う、はかなさ誘う特有の、あれら他のどの樹とも違う、晩秋の勢いがあった。華やかなのだ!
晴れ晴れと秋が終わった。銀杏が最後に黄葉するのは、しごく当然の理なのだ。

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…私は、何故だかひたすらに、塩マメあんみつが食べたくなって、先ほど行動に移したのです。
…秋の不思議。

2005年11月24日

2005.11.24

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物憂げな午後…
冬の日差しは、深い眠りのような影になって、私の後をついてくる。

そんな午後…、街路樹は鮮やかにざわめき、思えば、いつの天然も美しかった。
光の粒子が、刻々と、それらの色を創り、私はただ感じればいいだけだ。
…近頃は色が冴えないと、景色が判然と映らないと、
不図つぶやいてしまったら、原因は、自分の中にある。
そんなにも、天然は常に輝いている。

あっちに天使の階段が出来た!

夕映えに、残り少なの葉群れが色を増して、街に甘い香りが広がる。
私は、桜の大木の真下にいた。
大地を余す事なくサックリ隠してしまった落ち葉…、
ああ、桜の葉は、花びらと同じ数だけ、大地に散るのかもしれない。
その思考は、宇宙の不思議に触れたみたいで、私の心を明るくした。

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「ほら! あそこに一番星が光っているよ」

2005年11月23日

2005.11.23

魔法使いはマッコウクジラと友達です。

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マッコウクジラはペロペロキャンディーが大好きでした。ペロペロキャンディーの渦巻には、
どんな秘密が隠されているのか?とても知りたくてたまりません。
それから、一人で物思いに耽るのも好きでした。
マッコウクジラは、きわめて悲観主義者的思考でしたが、その思考に対して、きわめて楽観的でした。
たとえば…、
(自分はどうしてこんなにずっくり大きな体なんだろう。もっと小さくてキュートに泳ぎ回れたら!
こんなに大きいから、みんな怖がって知らん顔だ。この悩みと悲しみには、
きっと誰も気付いてはいまい。ああ、不幸だ。何かの役に立つでもない。
なんで生まれてきたのだろう?毎日ただプカプカ泳ぐだけ…
それにしても、海は広くて助かったなぁ。)

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こんな時、友達の魔法使いの事は思い出しません。これは、マッコウクジラの一人遊びです。
また、噂話が好きでした。マッコウクジラは、ずっと海の中にいましたが、
いつかフィンランドの森をゆっくり散歩したいと空想しました。それは、さざ波が噂していたからです。
さざ波の噂話はいつも魅力的でした。

マッコウクジラは、いつも一人で泳いでましたが、実は一人ではありませんでした。
時として、世界はそんなもの……。

魔法使いはそれで満足♪

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この夜、西方から、ラクダのため息が聞こえました。食卓にピーマンの肉詰めが出されたからです。

このため息も、魔法使いを満足させる、大切な世界の要素だったのです。


つづく?

2005年11月16日

2005.11.16

親愛なるダニエルへ

雨の音が好きかもしれないと気付いたのは、割りと大人になってからだ。

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雨の日は休んでいても気がひけない。私の精神はそのように繊細だったのだ。
我が意志と同意の余白に罪は感じないが、そうでない人生の余白を、私はきっと多く過ごしていた。

そんな日々…、雨が私を慰めた。

ダニエルは誰の寝息を聞いているの?

月がまもなく満ちてきます。
おやすみなさい。

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2005.11.16

ああ、誰の閃きか…
それとも、神の試煉なのか…

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そのメリーゴーランドは、生きてる馬で創られていた。
曲が始まると、反射的に歩き出す馬達は、いかにも機械的で、目を逸らさずにはいられない。
ズンチャッチャカ♪ズンチャッチャッ♪

金銀の鞍、ビロードのマント、荘厳な飾り細工の馬車は2台…
それらが、一層、その愁いの色を深くした。

憂いを知らない子供達が、たまに馬に跨がった。
誰が子供達を責められよう。だがそれは、確かに、「知らない」という罪を犯した。

草原を駆けるでかく、暑い土をかみ締めるでなく、ただぼんやりと、
ひづめは冷たいコンクリートをなでた。
曲が止むと、その歩行は力なく止まり、馬達は物になりすます。
その睫毛に青い鳥の影はなかった。

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ああ、私に何が出来る?

ああ、今ここに嵐を呼んで、メリーゴーランドに稲妻を落とし、馬達を開放してやればいいというのか?

ああ、しかし馬達は、もう未来を信じて走り出しはしないだろう。

ああ、あの濡れた瞳は、何と呟いている?瞳に夢見るは、かの森か?

ああ、私に何が出来る?

ああ、お前達を連れて、かの森を超えてしまおうか?そして、あの新鮮な泉の場所まで走ろうか?

お前達、まだ夢は見れるかい?

まだ明け切れぬ朝に、異界の色はにじんで溶けて…
私はこんな夢を見た。

2005年11月11日

2005.11.11

赤ピーマンには、魔法使いが棲んでいます。

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2005.11.11

そのキリンは、どのキリンよりも、随分と首が長かった。
そのキリンは、地平線も遠くに霞む、あるサバンナに住んでいた。

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そこには、一本、飛び抜けて背の高い木があった。
その木は、いつも悲しんでいた。背が高過ぎて、誰も遊んでくれないのだ。
フラミンゴの群れは、その木をはさんで、ふたつに分かれ、別々の場所に飛んでいった。
その木はまた悲しんだ。

キリンは、その木を毎日見上げた。葉の繁みから、毎日こぼれるしずくが、いつも気になったからだ。

「どうしたの?」
その木の下で、キリンが毎日見上げていたら、キリンもみんなとはぐれてしまった。
その木は、かわいそうに、そんなキリンに気付かなかった。だけど、キリンは見上げ続けた。
キリンはどんどん首が長くなって、その木もぐんぐん伸び続けた。

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キリンとその木は出会えたか?
それは、まだ私にもわかりません。

2005年11月09日

2005.11.9

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瞼が、潮風に吹かれた後みたい。

ここに海はない。
散歩帰り、一番最後の曲がり角。忽然と現れる都会のビルの光。
ああ、そうだ。蜃気楼…
それは蛤のあくび。

今夜はスパゲッティにしよう。

2005年11月08日

2005.11.8

私の住む地区は黒猫の街。

黒猫は、みんなカタカタの白いソックスを履いていた。
赤いビロードのリボン、リンリンと鈴虫の鈴、漆黒の毛並みは人目を魅く。
パキンと金色に光る瞳は、他者を寄せ付けない閃光を秘め、その輝きは月の雫の如く美しいのだ。

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それらは、太陽の余韻と予感の時間に、往来に悠々とたむろする。
夏の日、ゆったりと黒猫達が、思い思いの場所で寝転んでいる姿は、いかにも暢気で平和的だ。
私はそういう地区のムードが気に入っている。

新月の晩、黒猫は影踏みをして遊んだ。オレンジの街燈に、影は伸びたり縮んだりして…
黒猫は影とダンスを楽しむように、それは軽やかなステップで、夢中になって影踏みをした。

夜の公園にとろけた黒猫は、ほとんど気配を感じさせない。きっと、どこかの闇に潜んでいる。
それはちょっと緊張感のある空気でわかる。ブランコやスベリ台のそばにいないのが、それっぽい。
私は公園の黒猫の雰囲気を好んだ。

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私の部屋にも黒猫がいる。ソックスは履いてない。猫族にしては珍しく、家族単位で暮らしている。
父猫、母猫、子猫は2匹、名前をつけても呼ぶことはない。だから、名前は忘れてしまった。
この家族は、一定の距離をお互いが保ち、故に、私もそのルールに従っている。

昼寝をしてても触れることはない。彼らはよく遊ぶ。
風もないのに…クルクルと気持ち良さげに回転している。それは、とても和やかな風景である。
私はこの猫の家族を愛した。

往来に住む黒猫は、雨の日はどこに消えるのだろう…
昨日は午後から雨だった。あの猫達は、傘も雨宿りも似合わない。

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雨の日は、まだ雨の降り出してない、時空を旅しているような気がする。

2005年11月07日

2005.11.7

今見たいのは、パナマ運河の両岸の雲。

明るく晴れたグリーンの岸辺に、ススキの穂は輝いて群れ、歓迎の旗のようにいつまでも続く。

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そこから先は、全くソラ!
雲が低く夢幻に広がり、それは幼稚園児のお絵描きで描いた、あの雲らしい雲だった。

あんなに、ソラと雲を近くに感じたことはまだない。
あれは良かった。
…天女が奏でる天上の音楽は、時にはロックンロールかもしれない。

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2005年11月02日

2005.11.2

それは主に窓辺での儀式。

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凜と薫る大気に、織り成す風景に、こっそりとまじわる私のまざり方…
ドミトリの窓辺 トレインの隅 カフェのテラス 公園のベンチ…、それから…
それから、細いペンとお気に入りの便箋とポストカード。

変わった切手が貼りたくなったら違う国に行けばいい。
神経をリラックスして研ぎ澄まし、眼球に写る事実よりも胸に沸き立つ一粒の真理に気を配る。
桔梗色の空は、夜明けだった?夕闇だった?

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窓辺の木を見つめている。
光と葉っぱがじゃれ合っている。木肌の粗忽さに永久を感じる。
いつからここにいるのだろう。花は咲くだろうか。いつ咲くだろうか。
それは何も語らない。
イメージがはじけた。

はたしてこの木は、自分が木だと気付いているのか?
そう、きっと知らないんだ。故に、あのように美しい。意識皆無の美しさ…
そんなことが浮かんで来る日は調子がいい。それを一番伝えたい人に手紙を書く。
伝えたいことがいっぱいの日は、いっぱいの人に手紙を書く。そして、解き放つ。
私はその時、自分が木である。
街の新聞を転がす風である。ブーゲンビリアの塀であり、素朴な川の橋である。
すべて愛しくてたまらない。
私はそうやって、いついつまでも、返事不要の素敵な手紙を書き続けたい。

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…こっそりと交わる、私のまざり方。

2005年11月01日

2005.11.1

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小妖精パックのほれ薬。
思い当たるのはつる植物、花びらは薄いほうがいい。摘んだらすぐに枯れてしまう。
花の影が揺れて、雲になる瞬間!
少年はサンドウィッチに夢中だった。
ハムとピクルスの心地よいリズムが、その少年のすべてであった。
誰が少年を責められよう…
小妖精パックはそんな少年に恋をした。

2005年10月29日

2005.10.29

燦然と散るはダリア丘。
(雨になる前のイメージ…)
フェアリーの羽は唄うよ。
まだ柔らかな金属が、擦れ合うような、かすかな、軽やかな音色。
その音色だけがこの丘を包んで、ダリアの色も滲んで溶け合う。
(雨が降る前のイメージ…)

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2005年10月26日

2005.10.26

レモンの月が消える頃、
水平線が盗まれた。
アリスとテレスが探しに行った。
海の向こうにいるかもしれない…
不幸にも、アリスもテレスも泳げない…
かわいそうなアリスとテレス、海を飲み干すことにした。
太平洋を飲み干した頃、アリスとテレスはもはや海よりも海だった。

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夕日は、どこに沈めばいいかわからないので悲しかった。

2005年10月24日

2005.10.24

一晩ボトボトとヒョウが降り、この夕暮れ、ガラス戸を開けて外を見る。
空気がキュンとして冬の気配だ。この冷たさには覚えがある。

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私は寒いのが嫌いだ。寒さは私を憂鬱にする。
時はさらさらと流れ、いつの頃からか、あまり空を見上げなくなった。
最後に覚えているのはレンズ雲。
レンズ雲に会うと、空が自分を凝視してるみたいで、いつもみたいに歩けなかった。
持て余した手はポケットの中。そんな日々の私はまるで水中花。
冴える空気は、息苦しかった。
冬が来ている。

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頬だけでなく、全身で風を感じたら、それは、もうそこにいる証拠だ。
窓からどんどん、サファイア色に凍りつく。ああそしてまた、私は空を見上げられない…

2005年10月20日

2005.10.20

牛のゲップが、地球温暖化を促進してるというのは本当です。

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2005年10月19日

2005.10.19

台風20号がどこまで来てるか見るために、とっておきの海辺へ行った。雑として然。

決して穏やかではなかったが、遠浅の先の…もっと奥深い部分から、
沸き立つ如く溢れる波は美しくて、20号は美人だと感じた。

双方向から吹いている風に規律はなく、それらが織り成す砂浜の波紋は、あれは万華鏡。
砕けて尚美し。
突風に烏がハジカレテ… その光景は、高速道路を飛んでいた蝶を連想させた。
それらは、後方に流れて消えた。

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空気は輝いて、そこで食べるチップスターの塩味は、確かに波の味だった。
コーラは、辛いことがあると飲みたくなる。
炭酸の刺激は、多分ココロをマッサージした。
天然の大音響に、もう何も聞こえない、すでに語ることも尽きて、
不図、昔好きだった映画のワンシーンを思い出した。そして、もう一度観てみたいと思った。

クッキーは、風と浜辺を駆け回り、無邪気に流木を拾って回った。
自分の2倍の長さの流木にも臆することなく、それを集めては、時々砂に絵を描いた。
その絵は私をちょっと明るくした。

光線の反射でその色が変わる。20号は気紛れだ。だけどそれは、いかにも20号らしかった。
陽は、まもなく傾き、私は松林を引きかえした。

20号と、祭り囃子の稽古の笛が、私の家まで着いて来た。

2005年10月17日

2005.10.17

灼熱色したカンナの花が、脳みそにペタリと張り付いて、私はもう考えられない…

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2005年10月15日

2005.10.15

コスモスは、大正ロマンの香りがする。
日本の風土によく似合う花だが、江戸時代に咲き乱れる様は想像出来ない。
お殿様にも大奥にも、コスモスの花は似合わない。
だけど秋、私の周りも思い出も、コスモスの花に満ちていた。

私が少女だった頃、私はコスモスが嫌いだった。あのか弱さは不安だった。
いいようのないセンチメンタイズム…
コスモスは風だった。大地だった。波だった。自我の目覚めと縁遠かった。象徴だった。
…秋は悲しい。
「秋は悲しい」それは宇宙の意志だった。

少女‥、まだあらゆるものが美しくて、コーヒーは苦く、不可能はないと信じていた。
ああ、それでも、戦争はいけないと畏怖していた。
ピンクの花びらには、紫の夜が潜んでいた。白い花びらは、病院のシーツの匂いがした。
エンジ色の花びらは、夏によく日焼けした少女の肌を拒絶していた。
それらが一斉に揺れる時、私は薄く目を閉じた。

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私は四季を摘んで回った。コスモスもその対象になった。
か細い茎はよくしなる変わりに、なかなかポキンとは折れなかった。
指に食い込む茎の繊維は、私が感じたことのなかった罪の意識をいじわるく煽った。
(痛いのかな…、我慢してて、)
小さな悲鳴をあげるかわりに、開いた花びらをぱっと散らした。

私の苦悩に反して、母はコスモスが好きだった。コスモスを摘んで帰ると、まぁ綺麗!と喜んだ。
母はコスモスの頃に産まれたし、母と大正ロマンは澱みなく流れた。
私はコスモスが嫌いだったが、母がコスモスを好きなのはわかる気がした。

時が経ち、その間も、コスモスは常にそばにあった。母の誕生日には、よくコスモスの花を送った。
私は、母が好きなコスモスを、贈るごとに好きになった。
それは、母が喜んだからか、秋のセンチメンタルが怖くなくなったからかはわからないけれど、
多分鈍くなったからではない。

この季節になると、コスモスの丘に行きたくなる。
私は、か弱いと感じたかつてのコスモスに囲まれて、
一緒に地震を感じたいと不謹慎ながら妄想してしまいます…

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2005年10月14日

2005.10.14

ひきつり笑いのナツメヤシ。

クッキーはオリエントブルーがよく似合う。

花園。そういう単語は知っている。百花繚乱、という語句も、想像力を刺激する。
画家は自分のイメージや空想を定着させて、夢のような「花園」を壁面に懸けてみせることが出来る。

私は花園が見たい。

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きこえてくるのは、不思議な角笛。

今日はクッキーのダニエルを13匹、昇天させました。

2005年10月13日

2005.10.13

壺の中の金魚に名前はない。

去年の夏は、その水面でスイレンの黄色と白が地味に競った。
スイレンの深緑の葉は、突き刺さる日光を避けるのに絶好だったし、
その隙間をたまに横切る金魚の尾びれは、それらを歓迎して見え隠れしていた。
金魚は全員で5匹いた。

それぞれが思い思いの色で浮いたり沈んだりしていた。

その壺は、裏庭のよく陽のあたる一角に、水道口と対座して陣取り、
厚焼き土色のその風体は、きっぱり主役を好まない潔さがあった。
故に、地味なスイレンもよく映った。
ましてその中に金魚がいるという感覚は、稀に出会うかの輝石であった。
観賞用のはずの金魚が、観られることを放棄して、好きに壺の中で遊んだ。

私は夕暮れの頃、その壺を覗いた。その頃が金魚に会える確率が高いからだ。
私はほぼ毎日会いに行った。金魚はいつも決まったものが迎えてくれた。
餌をやるでなく、ただぼんやり眺めているのが好きだった。

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私は、それから暫く家をあけた。たまに金魚は思い出した。
まだ5匹全員に会ったことないのが気になっていた。

冬に帰ると、その壺は限り無く殺風景になっていた。
スイレンの跡形もなく、水面は銅製の鏡のようにかたくなであった。
そこに金魚の影はなかった。母に尋ねると、…おそらく全員死んでしまったのね、と返ってきた。

だけど、その壺は変わらずそこにあった。
春が過ぎ、夏は燃え、昨日、洗濯物を取り込みながら、私はなんとなく壺の中を覗いた。

‥赤と黒の斑点がある、淡く透き通った金魚がプカプカ泳いでいるではないか!

その模様に見覚えはなく、だが、あの金魚の仲間の1匹だと疑わなかった。
金魚は底なし壺に吸い込まれたと、あの日決めてしまった私の予測は、嬉しくはずれてくれたのだ。

私は、両親がまた新しく違う金魚を買ってくるとは思えなかったし、実際そういう事実はなかった。
生きていたのだ! その壺には、現在1匹の金魚が棲んでいる。
私はこれで、5匹のうちの3匹に出会った。あと2匹…

ある日あの壺を覗いたら、底なし壺の時空を超えて、まだ見ぬ2匹も会えるかもしれない

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2005年10月12日

2005.10.12

水辺の闇に光るカラスウリ。

夏、花弁の先が網状に細く裂けた白い花が咲き、その花には幾種もの蛾が群がった。
花は、花火の美しい時間帯に鮮やかにきれいに開くから、夜道にあの花はとても印象的だった。
その花とカラスウリの実が私の中で繋がったのは、いつかのお月見の夜である。

…朱色に怪しく光っていた。光沢のあるつるんとした皮膚。

それらの多くはさり気なく太陽を避けた、藪や林の中を好んだ。
その朱色にはお線香の炎が潜んでいた。あまり自分からは語らない、ひっそり静かな植物である。

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小学生だったろうか、国語の授業中、カラスウリという単語が教科書に出てきた。
宮沢賢治だったかもしれない… 先生はカラスウリを知ってるかどうか挙手を求めた。
手を挙げたのは、クラスで私と、もう一人男の子だけだった。

私はその子と話をしたことはなかった。だけど、カラスウリの授業以来、
その子とはある秘密を共有しているような、ちょっと特別な、親密な感情が芽生えた。

かといって、それから仲良くなるわけでもなく、言葉を交わすこともなかった。
それどころか、男の子が、その出来事をどのように感じているかさえ定かではなかった。

けれどそれで良かった。私は一人でその出来事を楽しんだ。
カラスウリを知っているということ…それは何かの合図だった。何か…、わからないから高揚した。

秋が終わる頃、カラスウリはようように色付く。形も大きさも一定ではない。そ
の不格好は、今でも、私を特別な感情にいざなう。

今宵、月は半月

2005年10月11日

2005.10.11

三浦海岸にもくらげはいた?
赤い汽車は走るよ。

空にかかる雲は昨日見た夢のように稀薄で、その途切れたところで汽車は止まった。
それから川を渡った。川は空よりも深かった。

緑のトンネルに入った。
トンネルは虹のアーチを一周していて、ならば曇りと雨の日は存在しないのかもしれない。
…トンネルはしゃぼんみたいに弾けた。そしたら、エメラルドの海だった。

その時私は、地中海の船上にいた。
海亀が昼寝をしながらついてきた。
もちろん海亀もエメラルドだった。

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その海は、見つめる水平線からどんどん増えているようで、私は言い様のない胸騒ぎを覚えた。
白く映える波の群れは、海から逃げ出したがって泣いて、私に連れていってと縋った。
波も汽車に乗りたがった。

海は永遠に続くようだった。
汽車の乗客は、みんな自分の前で腕組みをして、その目はすでに閉じられていた。
それらは汽車の付属品になって、同じリズムで揺れていた。
幾つもの駅を過ぎたけど、そんなことはどうでも良かったのかもしれない。私もただ乗っていた。

記憶が遥かに逝く気がするけど、それが誰の記憶なのか、今はもう判然としない。

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2005年10月09日

2005.10.9

…思い出は消化に悪い。

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2005年10月08日

2005.10.8

パッションフラワー!

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「キリスト受難の花」
じっと眺めていると、時計草の裂けた葉は槍に、伸びた巻きヒゲは鞭に見えてきた。

花の中心にそそりたつ子房の柱は十字架に、三本の花柱は、
キリストの両手両足に打ち込んだ釘にそっくりでだった。

五枚の萼片と五枚の花弁とを合わせた花の周辺の十枚は、
ヨハネとユダを除く十人の使徒を思わせた。

と今誰かが呟いた気がする…

2005年10月06日

2005.10.6

13時のざわめき。

太陽の眩さは時として私の世界に闇を放つ。私はふらふらと表に出た。
立枯れの彼岸花は火傷のように爛れていて、見るモノは目を背けないではいられない。
この午後に律として、それは不気味と似つかわしかった。

私はそれらを根元から踏付けた。私はただひたすら真っ直ぐに進んだ。
南京ハゼが疎らに赤く染まっている。その赤を、私は美しいと思った。
まだ生まれたての赤…銀杏は赤く染まらない、私は何故かそんなことを考えた。
アスファルトは妬けて、それを秋風が慰めていた。
    
私はさらに真っ直ぐ進んだ。
クラクションが背中に聞こえる。ある種の隔たりを松ぼっくりで埋め尽くす。
どこかで犬が鳴いている。悲しい響きだ。私は「夕焼け小焼け」のメロディーを連想した。

どれくらい歩き続けたのだろうか。私は歩くのをやめた。暗闇はいつしか青に変わり、
それは刻々とその色を変えた。しかしそれは、またひたすらに碧かった。

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青い世界は若干、戸惑っているようにもみえ、だがそれは、私だったかもしれない。
私はその青い世界を目前に見つめていた。でも溶けてしまいたいとは思わなかった。
私はそれが永遠でないと知っていた。
別に、永遠が欲しいわけではないけれど、溶けない理由は欲しかった。

たまに銀色が跳ねた。銀色は時々不安げに、リズムを刻んで跳ね続けた。
青の境界を求めていたの?白い小さな花花が散り、あるいは咲いて…
それらが手を繋いで「花いちもんめ」にかたってと誘った。
私は返事の代わりに、耳の聞こえないふりをした。
遊ぼう、遊ぼう、…

秋はキラめき、青は悠然として、私と青の間はもう随分透明だったかもしれない…

2005年10月05日

2005.10.5

実は私には、クッキーに付着したダニや蚤を見つけたら、
一匹残らず殺さないと気が済まないというような残忍なところがある。

それは小学の時に芽生えた。始めは愛犬愛猫に寄生する害虫駆除が目的だった。
今ももちろん、その要素は重要である。ならば、…と考える。

散歩の後、毎日の習慣となってるダニ探し、
いないとほっとするのとはちょっと感覚が違う…、恐らく落胆。
せめて一匹は付いていないとつまんない。
つまんないというよりも「いない」という事実をなかなか認識出来ないのである。
出来ないのだからいつまでも探す。けれど、いないものはいないのだ。

最近は便利な薬が出来て、その薬をクッキーの首筋に適量足らせば
1ヶ月は虫が寄って来ないのだ。だから昨日は興奮した。
薬の効果がなくなっていたクッキーにダニが大量に付着したのだ。
朝露に濡れた草原の道、露に紛れて、あんなにダニ達が潜んでいたなんて!

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取っても採ってもとりきれない。
あれは些かぞっとする光景ではあったけれども、私は久しぶりに夢中になった。
小学時代以来の大漁である。
一通り夢中になって、それらに対するいつもの儀式を済ませたら、
私は腰が曲がったまま、夜まで真っ直ぐに延びなくなってた。

それだけです…
クッキーには、また新たに薬を適量足らしてその殊を終了したのでした。

今朝の散歩は、水たまりを駆けて、雨の合間を走り抜きました。

2005年10月04日

2005.10.4

私にとってFishmansの旋律は、そう、

蓮華の花束、菜の花の花粉、野イチゴと木の実のソフトクッキー、若竹の香り揺れて、
変化のカエル、白いコンクリート、大きな鈴、それは朝、そして黄昏、歩行のリズム、
白いJeep、クローバー畑、ピーピー豆、蓬の海の深い所、花柄模様の甘い傘…

ああ、青空の向こうに星が無数に透けているわ

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2005年10月03日

2005.10.3

吹く風の心地良さに不図心を奪われて、しばし立ち止まって目を瞑る。
風が物語を運んでくる。
北西の方で鳶の鳴く声が聞こえる…

茜色の雲はまだ眩くて、だけどそれのたなびく裾から闇の気配もたゆたってくる。
夜は今日は東からやって来た。

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夏の残骸はまだそこここに溢れていて、ほらスタジイの木、天まで続く蝉の抜け殻。
散り切れない百日紅の花の群れ。枯れない向日葵。アゲハの羽は千切れていた。埃っぽい散歩道…

夕暮れと大気と大地の摩擦が、私にノスタルジィを運んでくる。
蝙蝠がチクチクキリトリ線上に飛んでいる。
ソナチネ、タラチネ、うさぎのダンス。

私はあの日、ジグザグに自転車を漕ぐのが割と気に入っていた。

2005年05月24日

2005.5.24

都会の森に降る雨は何だか静かに美しい。
それは夕暮れにやってきた。
私は赤い自転車でクッキーと散歩。

アキニレの木々を抜けて、ブランコの横を走り過ぎ、
時計台も通りこして、いつものグラウンドに行ってみた。
クッキーの友達はみんな後ろ姿で帰り始めている。
私も、クッキーもその姿を追わなかった。
私達は雨が気持ちいいと感じたから。
クローバーも白つめ草もしっとり伸びやかに横たわって、クッキーはその表面を飛ぶようにかけた。

雨足が強くなる。

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私達は大きな楠の木の群れに雨やどりした。
大木の下の大地はまだ顔を見せる様子もなく、ベンチの下にも楠の落ち葉が悠然としている。

雨に濡れてなおサクサクと歯切れのいい音がソーカイなのは、大木が雨粒をもっと欲しているからだ。
葉に当たる雨粒の音はかすかな光のようにちょっとずつ違ってチラチラ心地よい。
小鳥達も今は鳴かない。
ただ雨の音とクッキーが落ち葉の上をかける音だけが、この森を支配していた。
不図通りかかった老人に、
「傘がないのかね」と問われた。
「はい、だけど、いいんです」
「傘がないのかね」
「はい」
老人は私に自分の傘を差し出した。
「家はすぐそこだから使いなさい」
私は傘をさして森を出た。

2005年05月23日

2005.5.23

ジェシカ

ジェシカが水面を尾っぽで蹴って滑る音色。
ジェシカがくるりと回転して、金魚鉢の底を目指す音。
それは小学校の音楽室。窓辺の隅に木琴。
球のそれで左から右にコロローン。
ジェシカは奏でる。
気まぐれな音色。
私は振返る。
「ジェシカ、今日は何が嬉しかったの。」

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2005年05月20日

2005.5.20

初夏の公園

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2005年05月12日

2005.5.12

雨が降り出しそうでまだ降らない。
私がココにいない間に、公園は萌て天地は数えきれない緑にたたえられている。
「誰か私のことを呼んだか」
「いいえ、いいえ、ただただみとれているのです」

主はゆっくり深呼吸したような気がした。
主は雨を待ち、太陽を求め、大気全体を抱きしめる。
ツバメが空中のかげろうを切る。
今日の公園は静かだ。

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道ゆく家の庭もフローラが飛んでいる。
幾重にもしっかりつむいだ薔薇の花びら、ラナンキュラスはオレンジとイエロー。
ベルフラワーは瑠璃色に揺れてやわらかい風に初夏の唄をハミング。
八車草は水平線の青で、カワラナデシコはささやかな桃色にはにかんでいる。
私がココにいない間に。

春は、初夏は輝いている。

そうだ、私も種を蒔こう。
日々、語らいの友として、いろんな色の種を蒔こう。

2005年04月16日

2005.4.16

木登り子ネコは黒に白。

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だけどまだあんまり木登りが得意ではなかった。
上を目指すのは簡単だけど、下への降り方がわからない。

「マーマ、マーマ、マーマ」
母さん呼んでもやってこない。
「マーマ、マーマ、マーマ」
そんなに泣いたら、あの目ざといカラスにおそわれるでしょ。
ああ、泣かないで!

だけど木登り子ネコは自分がどうしたいのかもわからない。
泣いてるうちに何もわからなくなってしまったのだ。
もう、上を向いても赤い空だけ。

母さんに最後になめてもらったのはいつだった?
兄弟達はどこに居る?
木に登ったけど見あたらない。
僕の寝床はどこだったかしら?

「マーマ、マーマ、マーマ」
僕はいつから1人なの?僕はどうして1人なの?
わからない!わからない!

(大丈夫だよ)

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それは、多分、森がささやいた。

2005年03月25日

2005.3.25

私の住む家の曲がり角の坂下に高層ビルの一群れが見える。
今日は、その丁度真上に、それは大きな満月がポッカリ口をあけていた。
まだ色付かないその満月は本当に大きくて、私は七福神を思い出した。
それに何やらホッホッホッと笑っているのだ。

何かが起こりそうな気がする。

遠くの家の庭に咲いているコブシの花が白い流星群のようにまたたいて、
小さく風が咲く度にそのいくつかが消えていった。
時空を超えた不思議の旅が始まる。

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こういう日は夜行列車に乗ってどこまでもずっと出かけていたい。
そういえば、こっちにきて、ちっとも菜の花、菜種花を見ない。

地元では汽車の沿線、この季節になると、みんな一盛に背をぐーんと伸ばしてた。
ヒマワリじゃない、チューリップでもないあの漂うような黄色が私の中の一番の黄色だ。
汽車が通るたびにみんな手をつないで、同じ方法で揺れて交わる。
川べり、畦道、どこにでもいたのに。

ここでは、どこに行けば逢えるのだろう。みなさんの黄色はどんな色ですか。
ああ、今夜のお月の黄色もいいかもしれない。
きっとちょっぴり輝いて、笑いながら、春の宴のために餅つき。
つきたての餅をお空から方々にばらまいて、木々の大地の目覚めを促すんだ。

夜行列車はお月に向かって走っていて、子供の頃、
「ねえ、母さん、いつまでもお月がついてくるのよ」
と車の中で言っていた私も乗車している。
今宵は春の宴。

2005年03月20日

2005.3.20

午前4時。大地がなにやら蠢いている。
ラッパスイセンのファンファーレ。

それは金色に輝いて今朝の太陽を空に導く、土を踏みしめるのは何とも云えない。
たまにパキンと幹を踏む。その音色の新鮮さに不図、大地に目をやると、
ヒメオドリコ草がかわいらしくみんなで輪になってクルクルクルクル回っている。
オオイヌフグリは今日の空をちぎって大地にばらまいたんだ。

枯葉のにおいも香んばしく、やわらかくなったそれらの下には
萌色の若葉が純粋なる春の準備をやっていた。

今日はお彼岸。
祖母の好きだったスイセンとスイトピーとバラを飾った。
道ゆく人々もいつもより花束を手にした人が多い。
そういう街の景色は悪くない。
もっともっとみんなが花を手にする機会がふえるといいのに。

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花はセンチメンタルで手にする人々をよりいっそう素敵に見せる。
大地の花は雄大にキラメき、人々の花はやさしい笑顔を運んでくれる。

私は花々を体いっぱいに抱きしめる。

2005年03月19日

2005.3.19

ヒマラヤスギのコウモリ傘に春風とおぼしき生暖かいのがビュービューと吹いた。
公園の木々にも静かに夜が降りてきている。

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木々がゆっくり目を覚まし始める。私はこっそりスベリ台の下にかくれて見ていた。
まだ芽を見せない木々達を見わけるのは難しい。
けれど、永年、それはおそらく公園の出来る前からそこに住んでた木々達は
「誰」など関係がないようだ。そこのすべてが「自分」なのだ。

一等高いヒマラヤスギが今夜の公園の木々を見回す。
紅桜、白梅、サザンカ、わびすけ、少し遠くの方にミモザの木。
これらが近頃の公園を色どって、今夜、公園の空はピンク色。
コブシが無骨に指をならして弱冠春をいそがせている。

天中にくもの巣のようにはりめぐらしたあの木の名前は何だろう。
そういえば、それも、やっぱり公園で、
大木が秋風に身をまかせるがままに金黄色の黄葉を散らしていて、
「ああ、木は我が木だと知らないから美しいんだ」って思った。

自らを意識しない強さ、私は夜の木々に抱かれる。
自らを認識し、努力する美しさ、人はその道を選んだんだ。
感じて、考えて、深呼吸して、模索する。

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公園にはいつの間にか猫の集会。
夜に目覚める木々達はきっと何でもお見通し。
スベリ台にかくれて、木々の会話を待っていたけど、私がいるのもお見通し。
聞いてはいけないんだ。木々の声は神の歌。
まだ私は聞いてはいけないんだ。
でもね、私、満天星の小さな欠伸、きこえたよ。

2005年03月05日

2005.3.5

今日の朝は光。
眠れなかった夜の余韻を一人かすかに眩しいなと感じながら快くかみしめる。
こういう朝は寝床に未練はない。道はまだ濡れている。
明るくてサラッとした帽子をそろそろかぶりたい。
午前10時20分、クッキーと外に出た。
クッキーはまったなしに走り出す。その様子は森をかけ抜ける
うさぎのような足運びで、私はそれがわりと気に入っている。
また、用事のない長い散歩に出た。
ハナミズキの枝が少しふくらんできている。
思いがけない昨日の天気で梅のつぼみは花を前に落下してコロンと転がっている。
その姿は切なくもあり、凛ともしている。
落ちてなお美しい。私は拾わずにそのままにした。
そっちの方が似合っていると直感したからだ。
梅のつぼみ達はひなあられのような華やかさを魅めて転がっていた。
ある程度、ある時間、初めて行く道、知っている道歩いて回った。
赤信号。

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横断歩道の後ろでゆっくり止まった。
背後に不図、視線を感じた。
振り返ってみると、真っ白な猫が渦くまってこっちを見ている。
・・・と思ったら昨日のなごり雪の固まりだった。

2005年03月01日

2005.3.1

日差しが暖かいと感じたら春が来ている証拠だ。
風はビュービューと冷たかったけど、今日は何だか希望が芽生えた午後だった。
ヒメスミレとの出会い。
そのつぶらにして健全な意志を匂わせる紫は、私の好みの小ささでかたまり。
フェアリーの笛を花びらの奥にかくしている。
春の息吹はそういう野路に不図訪れる。
ああ、この空のあっちの方から春が来ている。
春はたまにビューと吹く風にあおられながら、だけど間違いなく近づいてきている。
私は春の種をまこう。そして背伸びを思いきりしよう。
クッキーと一緒に春探ししよう。

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だから今日は、もうゆっくりおやすみね、クッキー。

2005年02月25日

2005.2.25

春のち雪、または・・・。
最近の季節はやりきれない。もうすぐそこに3月がいるのに今日はずっしり雪の白。
私は雪とは相性が悪い。子供の頃からそうなのだ。
何があった、というわけじゃないが、何となく嫌な思い出がありそうな気がする。
そもそも、私が育った土地はそんなにひどく雪は降らない。
にもかかわらず、「今日に限って」という日に雪はやってくるのだ。
白と黒のモノクロの世界。

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子供の頃はその雪が解け出す時に垣間みせる闇の世界が怖かった。
駅伝競走、不安定な視界、時に痛くぶつかってくる。
速く走れば走るほど、条件は不利になる。
じんわりと靴底から浸そうとしてくる。子供の頃のハイカットのピンクのコンバースもだいなしだ。
電信柱が人かげに見える。たすきを渡す子はもう家に帰ったかもしれない。
私は一層、真剣に走る足を速める。

今日は、昨晩積もった雪の名残が家々の屋根を等しくしていた。
道路にはすでにガスにまみれた土色の氷が規定なく渦くまっている。

金魚のジェシーが昨日の夜から様子が変なの。背泳ぎしてるの。
お腹はぷっくりふくらんで、空気がいっぱいつまってそう。だから裏返しになるの?
今朝になってもなおらない。ジェシーにごはんをあげました。ジェシーは
背泳ぎのまま、必死に食べようと試みるけど、背泳ぎではうまく食べれない。
私はストローで人口呼吸。ジェシカはそのたび、ヒラリと回転して、その
愛らしい赤をチラつかせるけど、だけど長くは続かない。遠くへ行ってしまうの?
寒中金魚、金魚は寒いのに強いって聞いたのに。お願い、
この雪の日には逝かないで!

2005年02月20日

2005.2.20

膨大な夢の群がゴロゴロと私に押しよせてきて、私はバタンとたおれたんです。
夢の群は私からなかなか去っていかなくて私はバクを飼いました。
バクは意外になまけ者で食が細い。
私の思惑は失敗です。
次にインディアンにくもの巣のように私の周りに夢をとらえる特別な蚊帳を作ってもらいました。
だけど、この蚊帳は悪い夢だけとらえるように出来ていて、全ての夢からは守ってくれない。
私の思惑は失敗です。

私は眠っているときに夢を見るのが苦手です。

夢は起きてるときだけでいい。

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2005年02月18日

2005.2.17

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コーヒーをガブガブ飲みたくなった。
今日は何だか興奮している。
正午にはまだ早い、時計の11時から11時59分までは何というの?朝なの?お昼なの?
私は、その時間帯がわりと好きだ。
時計を見て、その間の時間だったら、「よしっ」て思う。
朝の夕暮れ時だから?
私は夕暮れ時も好きだ。
だけど、夕暮れ時は季節で移り変わる。だから時間で断定はできないんだ。
朝の夕暮れは変わらない。

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今日はこの冬(と自分が認識して)初めて素足にヒザ丈のスカートで
いろんな道をクッキーと闊歩した。
風は微々として穏やか。
空は空色の薄っぺらで、この風でもペランと飛んでってしまいそう。
空が飛んでったら、何がある?
私がもっと幼かったら、きっと夜があるって思ったかもしれない。
だけど、私はもう幼くない。そうじゃないことを知ってるんだ。
では再び、「空が飛んでいったら何がある?」
ふふふ、
空はね、よく子猫が高い所からそうするように、それはもう本当に
巧みにくるんと回転してまた空になるんだ。


まんまるお空だうっふっふっ


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道を歩くのに目的のないのは気分がいい。散歩するのとも違う。
林のような道を抜けると出口あたりに1本、八重の白い玉椿があった。
見上げていたらトポンって落ちた。
それをクッキーがくわえて、その瞬間がスローモーションのように頭から離れない。
そのあと、クッキーがくわえたまま首を振ったら、その八重の花びらがボサボサとやわらかに散った。
それは、クッキーのちょっとした悪だくみの手品みたいで、
クッキーがあはははと笑ってるみたいで、
私だけ一人が知らされていなかった出来事みたいで・・・。
スローモーションは私の頭の中でリピートしていて、
私はそろそろ目が回りそう。
今日はもう帰ろう。
帰ってコーヒーガブガブ飲もう。

2005年02月10日

2005.2.10

雨上がりの木曜日、夜明け前に目覚めました。「ソノ時、雨ハヤンデイタ?」
知りません。知りません。

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群青色の空気にまだ芽を出さない白樺の幹が、やけに光っていたようでした。
香りもやはり群青色で、それはツーンと、脳天をつき抜けていったんです!
ああ!雨の香りに土の香りも混っていました。
こういう日は、曇天の朝が訪れます。
「曇天ノ朝ハ訪レタ?」
はい。はい。訪れました。
飛魚の腹のような丹生色の空が広がって、その空は、やけに光っていたようでした。
朝は人々が道を歩きます。たいてい行く先はいつも同じです。
朝は車が道を走ります。昼間は車よりせっかちにウインカーがチカチカします。
私はそれをじっと見ていました。
「ソレヲジット見テイタ?」
そうです。そうです。私はそれをじっとみていました。
私は朝の番人です。

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眠る子はかわいい。曇天の日はきっと失敗事をしてしまうんだから。
いつまでもゆっくりお眠りなさい。
小鳥達、やさしい声で鳴いてあげて。トンビ、子供が怖い夢を見るとかわいそうだから
朝は鳴かないであげて。
笹よそよいで!サヤサヤと健やかなる音色を奏でて、曇天の朝をあの風にのせて
運びましょう。

雨上がりの木曜日に、早咲きのレンゲ草がまだ凍えて咲いていました。
そばにはナズナも咲いていて、ヒヨコ草も新鮮な若葉をみせていました。
みんな、まだまだ寒いんだから風邪ひかないでね。

おはようございます。