2006年04月22日
2006.4.22
こんなに鮮やかに晴れた日は、彼等の旅立ちを想起する。
私の家は昔から、なぜだか稀に、迷子のカメが滞在、逗留していきます。
それは、長雨の翌朝、玄関を開けると、こちらを真っ直ぐにみつめて、
「お世話になります」という風体で、忽然と姿を現わすのです。
そのカメ達をとりたててもてなすこともなかったけれど、邪険に追い払うこともしませんでした。
彼等は、庭先の石の上、芝生の緑、ツツジの木陰、木盥の水の中…
ようようの場所にくつろいで、逗留を楽しんでいるようでした。
私はカメに詳しくなかったし、別段すごく興味も湧かなかったけれど、家に動く者がいる感覚は新鮮で、
それも、坂の上にある我が家を選んで?やってきた訪問者に、ある親しみを持っていました。
それは、私以外の家族にも当て嵌まるようで、各々がなにげなく、カメ達の動向を観察しました。
不思議に思うことはいくつかありました。
家は川のそばでもなく、池があるわけでもありません。
ましてや、おいしい食事を出すわけでもありません。
記憶にあるのは、ご飯粒をあげたくらいで、それも果たして、食べたのかどうか…
カメ達は、いったいなぜ我が家なのか?カメしか知れない、道しるべでもあるのでしょうか?
どこから来て、それから、どこに行ってしまうのか…
庭先に遊ぶ様子は、いかにも呑気で、観察しているこちらも欠伸が出るくらいです。
一日中、同じ場所から動かない奴もいます。
にもかかわらず、やってくる時といなくなる時は、
消えてしまったようにその存在がパタンと「無」になるのです。
それは、なんともいえない空虚の念を、幼い私に植え込みました。
こんなミステリアスな現象のわりに、動くさまは相変わらず武骨で、キレもなく、
果たしてこの現象と事象につながりはあるのか…、そんな事を考え込んだりもしたものです。
訪問の驚きもさることながら、旅立ちはさらに突然でした。もちろん、挨拶などありません。
何匹かの旅立ちを経験して、私は、その後のカメの旅立ちを予見するようになりました。
朝起きて、空がまぶしいと窓を見て、鰯雲など出てる日は、旅立っていることが多いのでした。
私はその予見を、さりげなく、学校に出かける時に確認しました。
それから、旅立ったカメ達に再び出会うことはありません。
行きに依ったのなら、帰りも依って行けば良さそうなものだけど、
そんな律義なカメにはいまだ出会いません。
だけどもしかしたら、カメの世界では、年月の経過が、私が感じるより随分とゆっくりで、
カメにしてみたら、旅立ってからまだ幾日も過ぎてないかもしれません。
最近、なぜか、そう思えるようになりました。
「消えた」と直感したあの感覚は、カメ達がどこか別の時空に旅立った、
唯一の証しだったかもしれません。
あるいは、私もあの頃より年月を経て、
以前みたいに時間の流れを感じないからかもしれません。
いづれにしても、どれもこれもあやふやで、私の記憶さえもあやふやなようにも思われます。
だけど、確かに、カメはやってきたし、今日のような鮮やかに晴れた日にどこかへ旅立ったのです。
それは、焼きたてのクッキーの香りに、ある種のノスタルジーを感じるように、
私の中に染み込んでいて、こんな日には、思い出さないではいられないのです。
カメに名前をつければ良かった。
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- at 17:29
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